山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

開戦70周年とか

齢70歳の誕生日目前。世の中は相変わらず菅居座り内閣の下、やっと辞意表明、民主代表選挙となってきた。いつの時代でも、この国はどの方向に向かっているのか、その時代を生きている人々にはまことに分かり難い。
NHK終戦特集で、支那事変から、日中戦争、開戦までの日本の指導者のバタバタぶりを知るにつけ、昭和の御世の人材不足というか、国士の欠片も見当たらない不幸に茫然自失。
あの開戦強硬派と思われていた陸軍内部にも開戦絶対反対を唱えるものがおり、陸軍大臣も海軍がこの戦争は無理と反対を唱えれば戦争回避に向かう考えもあったらしいが、軍人たる者、建前は戦をするために養われている以上、意見を求められれば、負け戦が分かっていても、否とは言えなかった。そんな程度の浅はかな考えで、ハルノートに追い詰められやけくそ開戦。米英の思う壺に嵌っていった。
日中戦争までの20万人の戦死者を出して獲得した中国からの全面撤退が絶対条件とあれば、国内世論はこれを許すはずもなかった。かくして太平洋戦争突入し無慮310万人の戦争犠牲者を出した末に、愕然我に返ったというわけか。
開戦を最終決定した全国連絡会議と「ニイタカヤマノボレ」の真珠湾攻撃の間に11月22日私は生まれた。世情騒然、どんな心持で母は私を生んだのか。