山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

織田作と太宰

今週の週刊ポストでこの写真を発見。文士の一服とあって、写真家林忠彦氏が撮影した昭和を代表する作家たちの紫煙くゆらせるさまを活写したポートレート集。
その中に我がかって愛した太宰治織田作之助両者の写真もあった。その撮影に至った経緯も書かれているが、専ら織田作を撮ろうとしていた林忠彦に、太宰が酔いに任せて俺も撮れよと迫った挙句のワンショットだったらしい。
専ら、浪人時代を慰めてくれた太宰のこのバーカウンターでのショットと顎に肩肘着いた肖像とはまるで聖画のように崇めていたもんだが、よもやこの写真が、織田作のついでにものにされた一葉とは初めて聞いた話となる。
浪人2年の内の約1年、引きこもり状態で母が買い揃えてくれた日本文学全集80巻を徹夜で読みふけり、朝まだき、ふらふらと新浜の海岸を散歩してやっと布団にもぐりこむといった生活から抜け出すきっかけが太宰だった。
まず文体に魅了され、のちには自身の文章まで太宰風となる。精いっぱいメルヘンチックな物語を書いてみたり。その残骸が未だ手元に有るが、こっぱずかしくて見る勇気が起こらない。
ちょうどそのころ、苦し紛れに明石市・上丸教会の門を叩いたこともあって、内貴先生にはプロテスタントの教えを頂いた。
これが、大学での鈴木教養ゼミでの研究課題マックス・ウエーバーの「プロテスタンテイズムと資本主義の精神」を研究する動機となり、卒業論文の「新しい経営原理」を書かせる元となった。
これを機会に私が文学青年であった頃も書いてみようか。