山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

Together for 3.11

すべてのTV局が渾身の震災一周忌番組を流している。画面上の被災者は思い出と哀惜にまみれて慟哭を繰り返す。陛下が病の身を押して国民にお言葉を賜れた。
2時46分には私も黙祷を捧げた。
しかし、何かが違う。TVで押し付けられる復興・絆のエピソードに涙しているだけで良いんだろうか。
インタビューを受ける人々は驚くような家族の遭難喪失を話してくれる。家族5人を失い爺様と孫娘だけが生き残った家族も登場した。もしかして一家全滅の家族もあるんではなかろうか。
だが我々はこの震災当日からの報道の中で、一人の犠牲者の姿も見てはいない。勿論その配慮が必要なことは十分弁えてはいるが、実感がないんだ。
平成7年の阪神大震災の際、私が住む明石と言えばまさに被災地。マンション8階の我が家も信じられない揺れが来襲し、家具類がすべて引っくり返った。
それでも、震災後たしか2月19日。一月以上経って見舞いに駆けつけてくれた二男を見送るべく神戸・三宮へ出かけた際、電車が須磨を通過した直後目にした焼け跡の風景に心底驚いた。
これほど人間の感性って鈍いものなのか、私が特別鈍いということか。
2万人と数字でかたずけられる犠牲者の一人一人に貴重な、掛け替えのない人生が有った。その幽明の境となったのは、ただただてんでんこに高台に、逃げたか、辿り着いたかという一点。
そんな悲惨が東北地方太平洋沿岸500Kに渡って繰り広げられた。まさに地獄以上。
たぶんこのもどかしさは現地へ行って、その現実を目にする以外消えることは無いだろう。
それと、今ニュースステーションで大船渡三陸駅で長淵が雨に濡れてギターを奏で歌を歌っている。
画面では、廃墟と化した駅でひとり鎮魂の曲を捧げるという絵図なんだろうが、その周りをどれほど多くのロケ班が取り囲んでいることやら。
果たしてこのタイミングでギターを抱えて被災地巡りを考え付くマスコミ感覚を疑う。・・・と言えばあまりにへそ曲がりな視点なんだろうか。