山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

大塩平八郎と橋下徹

明治維新の30年前、大塩平八郎中斎が大坂で起こした一揆が再評価されている。
これまで、有名な檄文を発して同志40名と激発した大塩一揆は、約8時間で鎮圧され、40日の遁走ののち、大塩親子の爆死で幕を閉じたとされていた。
ところが27年前発見された江川文庫収蔵の幕閣に対する抗議文(大塩平八郎建議書)により、ことは大坂の地での一元与力の一揆騒乱に止まらず、徳川幕府幕閣の汚職(不正無尽)を暴き、それを糺さんとする日本国を意識した壮大な抗議行動で有ったことが判明。
今さらに、陽明学を基とした平八郎の世直しに身を捨てた心情が窺える。
一地方役人がその思いを世に伝えるのに如何に苦労が有ったことか。身を捨ててもその意思の万分の一も伝わらなかった時代の過酷さ。
思えば、平八郎に今、橋下徹と同じぐらいの発信メディアが有たなら、時代はどう動いていたことだろう。