山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬街道⑭亀山社中

坂本龍馬は慶応元年(1865)薩摩藩の援助を受け、長崎の伊良林に日本最初の商社・亀山社中を創設した。
当時この小高い丘一帯を亀山と呼び、亀山焼きの古窯跡もある。
龍馬と社中はこの場所を拠点に、貿易や人脈づくりに奔走。
ブーツを履いた龍馬や社中の制服の白袴で街を闊歩する姿はかっこよく、街の人々の噂の的となっていました。
ところで神戸から長崎に本拠を移した龍馬達がたちまちのうちに社中を立ち上げて商社活動を始める上で役に立つと言うより、其れを可能にしたのが今回私が辿って来た勝・龍馬の旅を通じて勝から龍馬へ授けられた長崎人脈があったからだ。
長崎海軍伝習所で伝習中に築いた勝の人脈は多岐に渡り、その全てを長崎滞在中の1ヶ月余の間に龍馬へと繋いで行った。
小曽根・大浦お慶・グラバ^ー等知られた人々の他にも多くの人々との繋がりを持ち、特に勝の薩摩藩とのパイプを利用出来るようになったことが重要であったに違いない。
それが証拠に慶応元年夏頃に社中を立ち上げると同時に薩摩藩の名義でイギリス・グラバ^ーから小銃・船舶を購入し、長州藩へ輸送している。
そう考えれば、神戸での海軍操練よりも、この旅での収穫がその後の龍馬の運命を決めることになった訳だ。