山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

タコつぼ日本

最近になって英国国家機密情報公開に伴い、昭和20年6-8月にかけての日本の在外機関から本国に打電された情報が傍聴解読されている書類が多数発見された。
太平洋戦争の早期から日本の暗号は完全に解読されていたことも驚きだが、特に在外駐在武官数人から緊急情報として、ヤルタ会談ルーズベルトスターリンの8月ソ連参戦の約定があったとの至急報がもたらせられていた。
勿論駐在武官が打電した先は大本営。即ち外務省が集める海外情報と駐在武官が集める軍事情報はそれぞれ、外務省・大本営へと集約され、本国においてこの情報が共有されることはほとんど絶望的と考えてよい。
多分軍部はソ連参戦の情報を握り潰し、当時の軍トップの阿南・梅津両将は講和の斡旋者として、あろうことかソ連を考えていた節が有る。
何しろ、必死に集めた極秘情報も届けた先の大本営がこれを聞く耳を持たず、まるでタコつぼ状態のヒステリーを起こしていては救えるものも救えなかったはずだ。
定説ではソ連対日参戦はそれこそ日本は予想だにしなかった不意打ちとされてきた。
しかし、事実は違って、いよいよ太平洋戦争も結末まじかとなって、戦争後の利権争奪が始まっており、米ソの駆け引きがヤルタで行われていた。
1945年8月9日未明、ソ連は対日前線の殆どから怒涛の勢いで雪崩込んだ。

310万人と言われる日本人の太平洋戦争犠牲者の内、この6月から8月にかけてもっとも多くの犠牲者を出している。
満蒙でのソ連軍による暴虐、関東軍が民間人より先に撤退、置き去りにされた邦人20万が北鮮でどれだけ命を失ったことか。そして沖縄戦・本土大空襲・広島長崎原爆、その後のシベリヤ抑留。
これが理性も冷静さも失ったタコつぼ国家がもたらした災厄だ。
そしてこの痛烈な経験が現代に至って生かされているかどうかを疑う。
タコつぼに先送りが加わってこの国の政治はますますその愚鈍さに磨きをかけている。8月15日一日だけの鎮魂を良いことに。