山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

不幸中の幸い・57年目の現場検証(2008.7.14)

4歳にして、大空襲を逃れて拾った命を、もう一度拾い直すことになろうとは。よくよく、運に恵まれた男に思えるが、常に「不幸中の幸い」としか言えない『運』に恵まれ続けた60余年といえる。
この6月27日、東京都杉並区第10小学校の屋上天窓から、小学6年生が転落して死亡との悲惨な事故が報じられた。
天窓は強化プラスチックのドーム型で1Fまで、吹き抜けで、高さ12M以上とか。屋上での授業を終えたあと、天窓に乗って遊んでいたらしい。死亡した少年は運が悪かったのか、それとも12Mを転落すれば、人間はとてもじゃないが無事でおれないものか。
あれは小学4年のこと。秋の運動会の予行演習があった日の昼休み。屋上でお弁当を使って、さあ運動場に戻ろうとした伸一少年は、まあいたずら盛りもいいとこで、ヤンチャそのものの性格の持ち主。
屋上搭屋の階段手すりにお弁当箱を乗せて、滑らして遊ぶつもりが、手加減を誤って手すりの向こうに落としてしまった。
階段下で弁当箱が大きな音を立てているのが聞こえてくる。思わず、手すりに身を乗り出して下を覗こうと、飛び上がったところまでは何とか覚えている。

・・気が付いた時は、校医の西井外科のベッドの上だった。猛烈な前頭部の痛みと、絶え間なく吐き気が襲ってくる。頭はガーンと音が鳴り響いたまま。もう何が起こったのか理解できない。
・・しばらくして、親父が駆けつけてきてくれた。嬉しいながらも、なにかとんでもないことを起してしまってすまない気持ちばかりが湧いてくる。西井先生とのやりとりが聞こえてきた。
「幸いひどい内出血はないようだが、今夜熱が出るようだと、命の保証はできかねる。なにしろ頭を冷やして安静に。」
・・そのままベッドに寝転んだ状態で考えてみるに、どうやら3階から階段を落ちたらしいことが分かってきた。
・・今も目を閉じてこれ以外のことを思い出そうしても、まるでサッパリ思い出せない。覚えているのは、事故後学校に行きだしてから、友達が事故の状況を色々教えてくれたことばかり。
なかでも同級生の桑山壮一(故人)のお姉さんが1階の階段を2・3段上がろうとしていた足元に、黒い塊が落ちてきたとおもったら「つのしん」やった。
あと少しのとこでお互い頭がぶつかり悲惨なことになっていたかも知れないという話は、聞いている本人にとってショックそのもの。
下から7段目ステンの滑り止め金具が貼り付けてある階段の角に頭から真逆さまに落ちて激突した。オデコの左側、手でさするとあのときの特大たんこぶの名残が感じられる。・・何しろ気分が悪かったなあ。

 上記の記事の12Mと言う高さが気になって、いったい俺はあの時、何Mを落下したのか確かめないと 気が済まなくなってきた。
7月7日午後2時ころ、神戸大学発達科学部附属明石小学校の校門をくぐる。守衛さんに来意を告げて、先生につないでもらう。
入校証を胸に付け、教員室に向かう。事情を話すとあきれたような表情を浮かべて、副校長に取り次いでいただいた。
副校長平山順一先生は、その昔我々が習った威厳に満ち溢れた清水一郎先生・石井三郎先生と違い、今時の感じのいい先生です。

廊下は授業の合間だったか、生徒があふれ賑やかなこと。どの子もさすが附属の生徒、いいとこの坊ちゃん・嬢ちゃんばかりと見受けた。
平山先生に案内頂いて、墜落現場へと急ぐ、といってもおもったより校舎は狭く・小さく感じる。一階7段目のステップを確認して、上を見上げてみると、身体一つが通り抜けるくらいの空間が吹きぬけている。
あの記事と一緒だとおもいながら、2階・塔屋へと登った。屋上はその昔、シミキン(清水一郎先生のあだ名)に事あるごとに叱られて罰として、何回も往復走らされた思い出しかなっかたが、まあなんとこんなに狭いところだったとは。
ちょうど落ちたとおもわれる手すり際から、用意の鳴子を重石にした紐を垂下げる。
紐はどんどん繰り出して8Mのところで鳴子の音がした。ああ8Mを勢いよく頭から飛び込んでいったわけだ。まさにダイビングしたと同じ。

よくもまあ命が有ったもんだとの思いがわき上がってきたのは、車で帰る途中から。俺の命は確かにあの時終わっていても何の不思議もなかったこと。
それを思うと、生きていたばかりにいらぬご迷惑をかけた人々に申し訳ない気持ちが湧いてくる。と思えば、せっかく拾った命だ、完全燃焼しないことには申し訳ないとも思い返す。
後日談としては、当分学校の話題となり、連日上級生がわざわざ教室まで、顔を見に押しかけてきたこと。
そして、この事故後、不思議なことに伸一少年の成績が人が入れ違ったかと言うぐらい良くなって、6年生の卒業写真では我ながらキリット賢そうな少年の姿に。・・これが我が人生の『不幸中の幸い』第一号。