山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

呉信一TBと伊川谷北を聴いた①  (つのしんの独り言・2008.6.9)

私にとってのふたりとの因縁話もさることながら、演奏会では両人が明石高校音楽部の1年違いであったことは披露されなかった。
演奏後のふたりが交わした熱い?抱擁の意味は、高校以来音楽畑で互いに研鑽を重ねてきた想いも込められたものだったろう。
それと、今や松井先生は明石フイル(たこフィル)の看板指揮者として活躍中ですが、これに対する呉先生のバックアップも凄いものがあると聞いています。
関西音楽界を引っ張る両輪の関係を思えばステージでの演奏の意味も違って感じられるのではありませんか。50年の時の重みと、両人に対して心からの応援の気持ちで、しかも極上の演奏を聴けるなんて。
あの会場を埋め尽くす人々の中で、まるで私のためだけに演奏してくれているような錯覚をおぼえながらの2時間。まさに至福のひと時でありました。
そんななか、演奏会そのものに感じた私の拙い感想も少しはありました。
そのひとつに、神戸文化ホールのステージ音響に関して、音が前に出ないなあ感じたこと。脇で聞いている弟に何度も確かめるように、音がこもってるなあと言葉を交わした。
ステージ反響が良くないのではとの疑問です。なにしろステージ上には第一部から、2・3年で80人は超えているメンバーでの演奏であります。もっと音の厚みと、圧倒される程の音量があってもと感じた。
もっとも、私の捉える感覚は、昭和40年代のもので、それから退歩はすれ、進歩しているとは言い難いことは承知。
それでも、次に何が起こるかというワクワク感が少し乏しくおもえた。振り返ってみるに、我々が現役のころ、ブラスは男子のものの時代でありました。
40名の部員のうち、女性と言えば、CLA・FLUTE・SAXとパートも限られてほんの4−5人がいたように思う。
それこそ、ヤンチャざかりの悪童集団が、ラッパを吹く時だけはお澄まししているという、荒々しさと若さのエネルギーに満ち満ちたものでした。演奏からして、あるいみ我が俺が式で、必要ないところで、頑張りすぎておこられることばかり。
ピアニッシモではパート全員が音を出す必要はありませんよとの恩師チュウサン(有永正人先生)の声がいまだに聞こえてきます。
檀上をみれば、今時そのもので、部員130余名中男子15名の構成。女性ならではの、優雅さと調和に、瑞々しさと、色気が加われば、鬼に金棒じゃないかな。
そんななか、部員全員による混声合唱のステージがあった。イカキタの恒例のステージということだけれど、これが意外と聴かせる。
ブラスの演奏会に同部員による合唱というこの仕組みに、松井先生が引きずっているエバーグリーンの世界を見たと感じた。爾来人間の声にまさる楽器はないのであります。
第九の最終章・合唱の出だしでいつも、毛穴が広がるような感動をおぼえるのは、私だけだない筈。しかも演奏曲目は、重厚で、むしり単純な、調和の世界。じつは、これが難しい。
複雑なフレーズを吹き飛ばす、唄い飛ばすことは案外とやれるもの。この単純ながら、絶対調和を求められる音だしこそ、それも自前の声でなおかつ、美しく謡いあげねばならない。最高のトレーニングになっているだろうな。
そんなことを思いながら、2008年のコンクール課題曲「セリオーソ」を聴いた。松井先生もあと2年足らずで定年をむかえるはず。そうあと2年で、念願の全国大会出場を果たさねばならない。時間がないのです。
私なら、この時点でかなり焦りをかんじるだろうに、指揮する後姿(後姿の良さは阪急の鈴木さん並み)にはそんな感じを微塵も見せず、松井ワールドを奏でてゆく。このペースなら、キット今年は行くよ。全日本に。