山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

1.マッカーサーと日本

暇に任せて「ザ・コールデスト・ウインターー朝鮮戦争」を熟読中。
我々が知っているようで、知らなかった第一次朝鮮戦争を米軍側から克明に描き出したデビット・ハルバースタムの力作。しかし、どうも日本語訳がしっくりと来ない。持って回った訳しかた、鬼の成瀬が怒りそう。
1950年6月25日、北朝鮮軍の精鋭およそ7個師団が南朝鮮との境界線を突破した。
その目論みは3週間で南全土を制圧占領し、南の人民を解放するというものだった。
かっての占領地で、永年統治してきた日本が終戦により取り上げられた朝鮮の地での、わずか終戦後5年目での、この戦争は、日本の復興にとっては、乾天の慈雨、降って湧いた幸運として捉えられて、その凄まじい内容については、本当に知られざる戦争だったと言える。
マッカーサーの独裁占領下の日本で、1ドル360円の恩恵を浴していたGIの物見遊山気分も、取りあえず一番近場に居たばかりに朝鮮に動員され、心底地獄を味わうこととなった。
終戦よりほんの5年の間に、金日成がでっち上げた北朝鮮王朝が、スターリンの暗黙の了承の内に、突如境界線を越えた。
その兵士の殆どが、中国の国共内戦で共産軍について戦ってきた精兵で、当時韓国に駐留していた米軍は小規模な軍事顧問団のみで、進攻への備えは無いに等しかった。
おまけに米国から無理やり連れもどし、トップに据えた李承晩にしてからが、全くの傀儡にすぎなかった。
その油断は、一体どこから来ていたのか。・・それは米軍による日本占領が思いの外順調に運ばれていたことがそのひとつ。
独裁者マッカーサーの芝居じみた慈善政策のもと、当初50万の米兵駐留の予定が、20万とされるほど、治安が保たれていた日本で、遊山気分でやってきたGI。
その実情たるや、太平洋戦争での歴戦の勇士がごっそり抜けて、全くの新兵の寄せ集めと成り果てていた。
その上、蒋介石が逃げ込んだ台湾の扱いを巡る、米国内での勢力争い。中国における米国の莫大な援助が水泡と帰してなお、民主中国の夢を見続け、スターリン毛沢東の思惑に気づかず、韓半島を軽視したツケが一挙に回って来た。