山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

鈴木照雄先生ご逝去を知る③

先生に頂いた幸いの②は、このゼミでの「プロテスタンテイズムと資本主義の精神」でのマックス・ウエーバーの近代社会の未来像を「化石化した無味乾燥な社会にと成り果てる」との予言が心にとまり、4年時、栗田真造教授の経営学ゼミでの卒業論文のテーマを、「経営原理の考察」などと捉えどころのないくらい、漠然とした表現をし、そのなかで、マックス・ウエーバーの予言を打ち砕くための、真の経営原理の提言を書き綴ったものでした。曰く「価値合理主義こそ近代合理主義の次に来るべきもの」。
一言で言えば、同一・同品種・大量生産の近代社会での経営原理は、まさに如何に、優れた同一品種を大量に安価に供給し、人々がそれを選択するまでも無く、受け入れて良しとする社会。これを打破するには、個々人が自身でなすあらゆる選択の判断原理を唯物的数的お徳感覚でおこなうのではなく、其々の信じる価値判断により多種多様に行うべしということ。言ってみれば、ブランド物の高級万年筆よりも、我が子が少ないお小遣いの中から選んで買ってくれたありきたりかも知れない万年筆の方に価値(ねうち)を感じるということか。・・サッカーのリーグ戦が終わって、3部落ちをまぬがれ、二度とサッカーなどするものかと、同志社・香露園のグランドにシューズを捨てたのが11月22日の我が誕生日24歳。その日から、卒論提出期限のたしか十二月十五日まで、かかりっきりでデッチアゲタ卒論がそれ。審査担当の加地教授ももひとつ分からない様子。栗田教授もまあいいだろうぐらいのこと、しかし、あれから40年、いま図書館に保存されている我が卒論を以前読み返した時の感想は、まさに「マックス・ウエーバーもP・F・ドラッカーも超えた。」・・ちょうどリーグ戦突入寸前、昭和41年の就職戦線は前年までの青天イケイケとは違い、一転暗雲がたなびき出したような状況に転じていた。サッカー部のキャプテンを申し付かっていた私にとって、この際津野の代で3部落ち必定などとの先輩の声もあり、就職どころの騒ぎではない状況。(実はこれが人生の最大の痛恨事、就職先の選択が一番大事と今になっておもいしる。)YAMAHA。野村不動産阪和興業・杏林薬品などと受けてみるが内定が出ない。一年上ながら、留年してともに就職先を探しているK先輩も、おなじ状態。お互いに情報を交換するうちに、K先輩が先日うけた(株)入江商店が再募集との張り出しを発見。受験にあたり、Kさんに先日の試験問題を教えてもらって傾向と対策とするつもり。ところが、入江商店総務があろうことか同じ問題を使いまわし。当然私は全問正解。開闢いらいはじめての100点満点。さあ大変な秀才がきたものよと大騒ぎとなったらしい。早速、社長・重役面接の通知を頂いた。この当時の入江商店社長・入江一雄といえば、大阪道頓堀に本社を構え、八幡・富士製鉄の資材納入窓口商社として大変な勢い。ブルドックのような社長の風貌も、威厳あたりを払っている。開口一番、クラブ活動と、卒論のことを聞かれる。
学業成績は優が35ケとかなりの線。ただし、専門科目・語学を除く一般教養で稼いだわけ。ちょうど構想ちゅうの、価値合理主義を拙くも説明していると、社長が突然私を指差し「お前、明日から来い。」と一言叫んだ。あとで知るに、価値合理主義の説明がいたく気に入られたとか。