山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

恩師の面影

神戸大学附属明石中学校消滅②

その半生を附属中に捧げられた副校長中島幸男先生は引退され姫路市飾西にお住まいでありましたが、中学を住吉に統合する案には反対の意見を持っておられた。 そもそも明石附属小学校は1904年兵庫県明石女子師範学校附属小学校として開校しており、中学は昭…

神戸大附属明石中学校消滅①

明石の街で附属へ行ってますと言えばちょっとしたステータスで、私が小学生の頃の附属と言ったら完全なお坊ちゃんお譲さま学校で、未だに喫茶店・水商売の我々兄妹3人が揃って入学できたのが信じられない。 どうやら、いろいろと裏があったようで、走り回っ…

鈴木先生消息届く

2008.5.17-7.16の恩師の面影のカテゴリーで鈴木先生の思い出と今、如何しておられるかの問い合わせに2008.5.9に御逝去の事を知った経緯を書いた。 やはり、先生の消息を何とかして知りたいとしたことのもとは、虫の知れせであったん…

鈴木照雄先生ご逝去を知る④

先生は昭和24.11.30から昭和43.3.31まで教鞭をとられた。戦後学校制度が再編成される激動の時代、新制大学としての神戸商科大学に赴任されたわけだ。担当講義はドイツ語と教養・倫理学でありましたが、今思えば、そのどれもが先生には苦痛そ…

鈴木照雄先生ご逝去を知る③

先生に頂いた幸いの②は、このゼミでの「プロテスタンテイズムと資本主義の精神」でのマックス・ウエーバーの近代社会の未来像を「化石化した無味乾燥な社会にと成り果てる」との予言が心にとまり、4年時、栗田真造教授の経営学ゼミでの卒業論文のテーマを、「経…

鈴木照雄先生ご逝去を知る②

①は、その学年の関門とやら。ドイツ語Ⅰ・Ⅱのうち一つは通つていないと3年にはなれないOUTと言うわけ。Ⅱはほって置いて、極力授業にも出席して習得に励みはしたが、試験の結果が出る前に落ちであることは明白な事実。そんな時、最後の手段として、担当教授に…

鈴木照雄先生ご逝去を知る①

かのギリシ哲学の権威・田中美知太郎先生の一の弟子といわれた鈴木照雄先生ご逝去を今、ブログ「哲学の森」を見て知りました。2008年5月9日とのこと。・・先生とのご縁は、神戸商科大学2年の教養ゼミでゼミ生としてご指導いただいたことが始まりです。大学に…