山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

鈴木照雄先生ご逝去を知る②

①は、その学年の関門とやら。ドイツ語Ⅰ・Ⅱのうち一つは通つていないと3年にはなれないOUTと言うわけ。Ⅱはほって置いて、極力授業にも出席して習得に励みはしたが、試験の結果が出る前に落ちであることは明白な事実。そんな時、最後の手段として、担当教授に泣きついて下駄をはかせて貰うしか道は残されていない。ドイツ語もA文法とB訳読の2教科があって、必死のパッチで、といあえずは姫路・神戸大学姫路の官舎におられたドイツ語Aの大河内助教授のもとへお願いにあがる。恐る恐るお尋ねしたところが、勿論点は足りてはいないが、関門のこともあり、お情けで及第点をあげているよとの、天から降ってくるかのような有り難いお言葉を頂く。そうなればBの鈴木先生には絶対お願いしなければと2月の寒さつのるなか、京都の自宅までお邪魔することに。そのころ、商大の学生間では厳しい先生方を称して「鬼の成瀬に仏の鈴木」との言い伝えがありました。サッカー部でも代々の科目ノートが受け継がれていて、この先生ならこの10年このノートとおなじ事を言うだけだから、サボって練習に出て来いというわけ。その先輩連が口々に、鈴木先生の仏とは、学生を仏にしてしまうことからきているのだよとわざわざ教えてくれる。仏のように優しく救ってくれるわけもないとのこと。しかし、私にしたらそれで諦めるわけにはいかないわけがある。ここでもう一年だぶるようであれば、今つきあっている弘子ちゃんともお別れのはめになりかねない。意を決して、京都へと向かった。鈴木先生にはこちらの用件など先刻ご承知であったろう。開口一番、いままで誰にも下駄を履かせたものなどいないよと言われる。がしかし、今回一人、試験の時刻を取り違えて受験できなかったN君には、前期の成績が良かったから合格点をあげておいたと言われる目が笑って見えた。Nくんとは、誰あろう私の親友且つサッカー部マネージャーでもある。・・ひと時間があって、先生曰く「もう成績表は大学に提出ずみですよ」。瞬間我が人生も終わったかと土壇場で首をさしだしている気分。ややあって、「明日大学にいって、点数を訂正してきましょう。」との言葉を頂いた。かくして、我が首は繋がり、帰り道の足取りの軽かったこと。
かのさんよう喫茶で帰りを待ちわびていた弘子ちゃんにまっさきに報告いたしました。その後聞くところによりますと、私めの点数訂正は教務課でも話題となっていたとか、また履かせた下駄も、あれは竹馬じゃなかったかと言われるほど。またその後、鈴木先生がそのような情けを見せることは二度と無く、一年上のサッカー部Wさんも卒業間際まで、鈴木先生のドイツ語を残し、就職も決まっていたことと、我々の手品をもれ知っていて、駆け込んだけれど、にべも無く追い返されて、我々と一緒に卒業されたのは未だ忘れられない思い出の一つであります。