山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

サッカー命の日々⑪クラマー小林・ソックス堀川

2e64f07f.JPG中・高とは音楽部。100M競争では、校内で2番。ただし、1番はブッチギリの10秒5-6で東京オリンピック男子400Mリレーの一番走者を務めた浅井浄君。実質素人1番と考えても良いんじゃないか。でも日ごろ運動をして鍛えているわけではないから、連日の練習でとうとうバテチャッタ。練習の帰路のあげくだし。家に帰るなりバッタリたおれこみ、40度近い熱を出してほんと死ぬ思い。罹りつけの小児科の富沢先生にすがりつく。しかしこれで身体はなんとか練習について行ける状態までになった。一方ラッパの方は、一切吹くのをやめたわけではなくて、明石高校OB吹奏楽団のコンサート・定期練習は欠かすことなく続けておりました。というより弘子ちゃんとのデートを兼ねてと言ったほうが正しい。また、学内では、マンドリンクラブに押しかけ、商大祭・定期演奏会にエキストラとしてギャラを貰って出演する厚かましさ。この時マンドリンクラブで指揮をしていたのが今セキスイの副社長を務めている巖根志智郎君。マンドラを抱えていたのが、後に商大応援団吹奏部を立ち上げた北林弘美君でありました。北林君とは3回になって早々、吹奏部立ち上げで苦労を共にするんだけど、その話は後日。
サッカー部では三代の主将にお世話になったけれど、既述の3代目松本靖弘主将に負けず劣らず、1代目・2代目の主将に音楽活動との兼ね合い(全日本吹奏楽コンクール出場・ちょうどリーグ戦の真っ最中)で無理を聞いてもらうこと度々でありました。
特に1回生の際お世話になった小林弘典主将は私の中では、クラマー小林ということになっています。
と言うのも、当時日本サッカー協会野津謙会長が東京オリンピックに備え、日本代表(早稲田の釜本邦茂・明治の杉山隆一)の指導のためにドイツから代表コーチとして招聘していたデトマール・クラマーが日本中の大学サッカーリーグを回ってもっとも軽視されていた基本練習を教えて回ったSCHOOLING
にただ一人、チームの代表として参加。早速我々にクラマー直伝の基本練習の大切さを伝える役割を果たしていただいた。正に私にとってはクラマー小林であるわけです。近年にも、我が窮地を救っていただくなど、一生頭の上がらぬ存在であります。もう一人の堀川英佑主将は熊本県済々黌高出身で純情を絵に描いたような熊本もっこすであります。クヨクヨしているところを一度も見たことが無い明るい得な性格で、2部復帰を果たす主将となつた。前々回の淡水サッカー総会で40年ぶりに再会したが、セキスイ化学取締役退任直後であったが、まるで昔のままの人柄であったのに驚いた。写真を撮るときに「さあ写ろうか」と大声で集合の声をかけられた時大笑いしたこと。合宿の際、しきりに皆に、靴下を配ってくれるので、不思議におもい聴いてみると、「パチンコで勝つと靴下しかくれないんだよ」とニコニコしている。それは履くもんじゃなくて、お金と交換するものでしょうと、皆が靴下を貰って有り難いやら可笑しいやら。故に私の中ではソックス堀川。