山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

神戸商科大学応援団吹奏楽部の不思議①7人のサムライ

今まで書き綴り、書きなぐってきた文を再読すると、まるでサッカーしかやっていないような印象を与えかねない。しかし、実際は勉学に励み、読書に勤しみ、デートも欠かさず、ラッパもずっと吹いておりました。昭和37年の秋ごろか、同期の2回生の中の元気者7人ほどが、元気をもてあましてでもないだろうが、1.我が学園に独特なスクールカラーを打ち出す機会をつくること。1.体育会、文化会のより一層の発展。1.商大生同志間の融和。の3つをスローガンに応援団創団の動きを示した。準備段階として児島武・鯖田淳一・北林弘美・竹内茂・赤木克彦・岡田述史・萩原圭裕が7人のサムライと称して、まず陸声会を立ち上げた。グランドの隅で蛮声を上げている連中は、揃いも揃って、小柄で、恐ろしく足が短かったことを何故か妙によく覚えている。翌昭和38年2月1日を期して、サッカー部顧問であられた田中博教授を顧問に迎え、神戸商j科大学応援団が創団、発足した。当時応援団設立趣意書を各界OBに発したところ、予想以上の反響があり、多大な厚志を頂く結果となった。皆さん母校を思う熱い気持ちの結集であったのでしょう。特に力を入れられたのが、当時東京財界で勇名を馳せておられた高商2回生・野村證券中興の祖と謳われた北裏喜一郎社長であったとか。