山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

神戸商科大学応援団の不思議②附中生とカネカ化学


8fe73ed8jpeg




















ba0b7bd4jpeg    吹奏楽部を最初から設立しようとの計画があったのか、無かったのか、北林に聞いて確かめないと。北林が最初からマンドリンから無理やり引き抜かれて参加していたことを考えると、できれば吹奏楽部とはいかないまでも、勇壮なブラスバンドぐらいは、儀杖に必要と考えていたかも。ところが、趣意書にて浄財を募ったところ、予想以上の反響で、そこそこの資金が集っちゃったんでしょう。早速、バンドの編成をということになった。うろ覚えだけど、3回生は北林1人。クラ・サックスなら高校で吹いていたらしい。2回生は平田拓雄(日清製油・現在司法書士)がトランペット。1回生に小林武司(明石高校音楽部後輩・第一勧銀本部システム部長)がクラ。仲本浩章(故人)がペット。岡田勝(明石商業・松陽高校教員)が下手なトロンボーン。・・トロンボーンには点が辛くなる。でとてもメンバーが足りない。バンドにならない状態。そんななか、児島団長から直々、何とかしてくれと泣くように頼まれた。吹奏楽部は10月6日設立とし、1964商大祭デビューをしなければと無謀な計画だけが先行している。もっぱら練習の合間をみてドレミの音階練習から始めないと、十分な音など出る代物ではない。それでも、小豆島での合宿が終わる頃には、不思議なもので、其々が腕を上げてきた。しかし、演奏上、絶対的にパート・人数不足でどうしようもない。・・一計を案じて、(前に松井隆司君のことを書いた項参照)ちょうど全日本吹奏楽コンクール関西大会出場のため指導していた神戸大学教育学部明石附属中学のブラスバンド全員と、同じくアルバイトで教えに出向いていた高砂のカネカ化学のバンドの全員を強制招集して人数を整えた。商大祭園遊会には中学生が出演し、中学生の中に,田中博教授のお孫さんのお嬢さんがいたりして女生徒はモテモテで大喜び。さすがに国際会館での演奏会には荷が重かろうと、こちらはカネカ化学の連中と、明石高校OB吹奏楽団からのエキストラの招いて堂々たるシンフォニックバンドが即席ながら、出来上がった。いま当時のステージ写真を見るに、我ながらまあ立派なものです。