山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

『さんよう喫茶』⑭舞台は一転

小学5年になって、材木町に家を新築移転したことから、私の生活ぶりも一転。お店には学校の帰りに寄る程度となっていたと思うが、日常の生活がどうであったかよく思い出せない。なにせ両親はお店に懸かりっきり

で、躾けなど受けた覚えが無い。映画を見て、銀幕の情報はタップリ知っているし、お店の常連客とのませた会話には長けているが、子供らしい振る舞いが出来ない。そんな問題児を同居した時から、面倒を見るようになったおしげ祖母の苦労たるや大変だったと今にして思い返す。おかずの好き嫌いは多いわ、夜更かしは当たり前、チョット目を離すとお店に行って帰ってこない。そんな坊主に一から健全な日常生活を叩き込む大仕事をおしげさんはやってくれたんだ。便所のスリッパの並べ方から、手洗いの指導まで、ほんと口うるさく構ってくれました。今、何とか恥じを掻かずにおれるのは、この時のマンTOマンの躾けのお蔭。

『さんよう喫茶』が山陽座の東側から、西側に変わることで、店の雰囲気がガラットと変わった。この店作りから、親父の喫茶センスが発揮されだしたように覚えている。なにせ店の呼び物を次々と編み出して新規客を増やさないと、常連だけのマンネリ店になってしまう。そのため頻りと大阪コペン、プランタン・神戸へ出かけては喫茶店巡りをしていた。店は映画館の構造が幸いして天井がすごく高く、おまけにそこそこの庭が付いていた。なけなしの資金を工面して、高い天井に自分でデザインしてシャンデリアをぶら下げる。入り口のドアーも最新流行のアクリ樹脂で出来た透明に近い一枚もの。これが為に何人がオデコをぶつけた事か。客席も50席はありました。かくしてこの店を舞台にアイデア・工夫の数々が繰り広げられることになりました。