山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

『さんよう喫茶』⑮糞尿譚転じて文化サロンとなる

 さんよう喫茶の東側から西側への移転の理由は、映画館の糞尿が原因ではないかと思う。前にも言ったように、戦後庶民のささやかな娯楽の一端を担った映画館も、建物は戦前からのもの。連日殺到するお客が、手に汗を握り、声を嗄らして歓声を上げ、涙を流すついでに、糞ションベンも盛大に盛り上げ撒き散らしてゆく。従来の汚水槽のCAPAではとてもおっつかない。3日にあげず汲み取りをしても、すぐに満杯。あげくにあふれ出して山陽横丁に芳しい匂いが蔓延する。その気兼ねもあって、確かもう明石東宝(柏木興業)に代替わりしていた映画館から、移転の依頼があったというわけ。多少の移転費用補助もあったとか聞いています。お店移転とともに出来上がった新汚水槽は深さも広さもまるで地へ潜ったプールといったところ。お店のトイレも同じ汚水槽の上にあることから親父からしきりと、便所にはまったら、絶対に助からないぞと嚇された。汲み取りの車は思いっきり大型で、その出入りにさんよう喫茶の横庭が通路にあてられたわけ。お客はそんな事情には気づかず、いい庭ができましたねと褒めてくれる。なんと返事をしていたかまでは聞いておりません。そんな事情はさておき、新店舗に移ってからの親父の発想は、これが同じ親父かと見紛うばかりの輝きを発揮することになります。

 それはちょうど、戦争が終わって、それまでにあった喫茶という業態が、人々の社交の場として、もっぱらAMERICAの文化を装ってその後20年にわたって隆盛の一途をたどっていく波に親父も乗っていつたということでしょう。ただし、その発想と努力は、人の真似を潔しとせず、最先端をきり、もちろん本業のコーヒー研究は欠かすことなく、始めたからには継続をモットーとして飽きることがない。そういった20年の戦闘開始となった。