山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

『さんよう喫茶』⑱さんようクラッシックコンサート概論

この時代、音楽を聴くのは専らレコード頼みでした。そのレコード再生装置がLPレコードとプレーヤーの出現で一変することになりました。喫茶店といえば、それぞれ店の持ち味を生かして集客をはかるわけですが、世の中も落ち着き、人々がデートにしろ、会社帰りにしろ楽しい語らいの場としての喫茶店の役割は大きなものでした。今なら、すかさず居酒屋で一杯という段取りになる。我が店は、プロレス中継で立ち見、すし詰めの荒い営業もいたしますが、普段は音楽をバックグランドに流し、それは上品な雰囲気を売りとしておりました。昭和28年に純国産LPが発売になると、それまでSP盤を忙しくひっくり返していた手間が、片面30分は保つことになった。さっそくこれに親父はとびついています。その証拠に今手元にかろうじて残っている『さんようレコードコンサート』の案内状、ある期間のそれも飛び飛びでしか残っていない古ぼけた案内状から推察することが出来ます。まず全体を語るなら、いつの頃から始まったかは、はっきりとは特定できないが、上記のLP発売の昭和28年以降で、昭和33年(1958年)のステレオプレーヤー出現前と考えています。というのも、手元の案内状の殆どが、未発送のもので、おまけに年の表示をぬかしています。幸いなことにたった一枚、明石高校音楽部の恩師・有永正人先生に発送した第126回2月20日を御嬢さんの真紀子から頂いていて

,郵便局の消印が幽かに残っていて、S35.2.17と読みとれる。この日付を基準点として検討してみるに、当初は半月に一度ぐらいの頻度で金曜日の夕方開催していたように見える。一番古い案内状は第112回5月9日開催となっていることから、このころは月一回のペースでながら、これ以前が同じ月一回で遡ると、初回は昭和25年5月となり、お店が西側に移転した時期と整合しなくなる。このあと、回を重ね、最終回は第248回昭和42年11月17日於さんよう喫茶となっており、この日は親父の誕生日です。そして翌年の昭和43年2月21日に喫茶リオ・ブラジルを会場に、『ギターとデキシーの演奏会』と題して、生演奏と後半はやはりレコード演奏の会を最終にその長い歴史にピリオドを打っています。その期間、昭和27年から昭和43年2月21日まで実に15余年を数える。そしてこのコンサートから知らず知らずにでっかい音楽の贈り物を貰った一人が私であったわけだ。

2月21日(水)

  PM6;30-9;00      ところ・・リオ・ブラジル

  入場無料

         『ギターとデキシーの演奏会』

  新しい試みとして、皆様に楽しんでもらえる実演を今までのレコ

  ードコンサートに採用してみました。是非お越しください。

  ①禁じられた遊びアルハンブラの思い出・他

   昭和42年日本ギター音楽コンクール第2位   高木 剛

  ②聖者の行進・マックザナイフ・他数曲

                 伊藤たかふみとファニーメン

  ③J・シュトラウス・ポッカ・行進曲他

    ボスコフスキー指揮 ゥインフイルハーモニー

                      (ママ)