山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

『さんよう喫茶』⑲クラッシックコンサートの舞台裏

527f9ecb.JPG最初のうちは、お店を会場にしての「さんようクラッシックコンサート」と名づけての開催でありました。勿論、お店の自慢のHI-FI(High-Fidelity)装置でのレコードコンサートであります。このHi-Fiも藤田兄の川崎航空機のお友達、松岡さんと言ったと思う。飛行機を作る技術屋が病高じて、Hi-Fiを作らせれば右に出る者は無いという優れものにお願いして設えた。そのコンサートの様子をガラット変えたのが、これも日本ビクターが本邦最初に発売したステレオプレーヤー「STL-1S」の出現であります。このステレオのお披露目はビクターから技術屋さんを招き、明石海岸近くの、そういえば親父とお袋が共に勤めた錦江ホテル跡で、播陽幼稚園の講堂を借り切って開催したものです。本体は、スピーカー2台とアンプ・プレーヤーにセパレートされていて、これが夫々かなりの重さ。講堂の舞台の前のテーブル上に装置をセットする。会場は100人近くのお客さんが詰め掛けて、今噂のステレオがどんな物なのか、耳をダンボにして着席する。忘れもしない、デモ演奏の最初は蒸気機関車の進行音、ただそれだけの再生でありました。ひたすらシュツシュポッポの音がするのみ。それも左の方角から、かすかに汽笛の音がしたと思うまもなく、轟音を発てて列車が近寄り、目の前を猛烈な勢いで通り過ぎ、右の方向に走り去って行ってしまった。まだ皆素朴だったんですね。会場からは感嘆の声が上がり拍手さえ沸き起こった。このデモ演以降、臨場感あふれるステレオ(勿論明石唯一)コンサートに詰め掛ける人数を収容するために、お店では狭くて、明石商工会議所4階の集会所を借りての開催となった。恭しくステレオが前面に鎮座ましまし、50人はゆったりと収容できる部屋にパイプ椅子を並べる。その最前列は佐山敏夫先生と讃井毅先生の指定席で、
懇切丁寧な解説をお願いしていた。選曲もこの両先生が担当して皆さんのリクエストも参考に、もっぱら自分の聞きたい曲を選んでいたように思います。というのも、これだけの回数を通して、加古川駅前の奥田楽器の奥田勇専務の好意により、新譜レコードの新品がこちらの要望どうりに提供されたからであります。本当は奥田楽器様には足を向けては寝られないほどのお世話になったわけです。この提供がなければとても長期間継続しての開催は不可能です。今思えば、回ごとに詳細な解説書をガリ版刷りながら用意して配付する。毎回案内状の発送は欠かさない等、まったく採算度外視のこの会を、嬉々として続けた親父を今更ながら「偉いやっちゃ」と見直す気持ち。そして、もう一つの発見は、親父が案内状の片隅に記した小文が意外と味があることに気が付いた。今手元に小文付きの葉書は14通しか残っていないが、時折このHPに復刻掲載してみようと考えた。
きょうも神戸新聞夕刊の「いいみみ」欄にTELして、100回ー230回(昭和32年ー昭和42年)の小文付き案内状を保存しておられる方が居られたら是非一報お願いしますとのメッセージ掲載をお願いしたが、採用されたら良いのにと祈るばかり。