山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

『さんよう喫茶』番外

79歳のY老夫人の今夜お通夜に出かけた。この話は生々し過ぎて実名を書くわけにはいかないだろう。
あれはいつのころだったか、東京に居たはずの、親父の長兄・清寿の息子・二人の兄弟が明石にやってきた。長男は東京工業大学卒の技術屋で、次男は明治大学在学中学徒動員され一式陸攻の通信兵で、特攻前夜空襲を受けて、搭乗予定の飛行機が破壊され、ために命拾いをした、特攻くずれ。それこそ戦後間もなく、食い詰めて明石の伯父さんを頼ってのことだった。四郎兄との相談の結果、長男は四郎兄が就職を斡旋し、次男は清志(おやじ)がさんよう喫茶を手伝わせるという手筈となった。次男Rのその時の様子は、小さなボストンバック一つを手に持っただけの姿で、そのとき着ていた上着も友達からの借り物だったとか。親父にすれば、10数年前、東京の長兄を頼った揚句、追い返された恨みはなかったのか、それでも肉親の情がそうさせたのか、店を手伝わせだした。Rは教養もあり、小柄ながら、一見ニヒルな色白二枚目であります。そのころの大学出か中退かは聞かなかったけれど、我々兄弟にとっては、良い兄貴分に思えて、よくまとわりついて話を聞いた覚えがあります。喫茶仕事も熱心で、たちまちコーヒーのブレンドも研究し「さんようブレンド」なるものも、親父と合作で作り上げていた。とくに絵画が好きで、筆をとるわけではないけれど、審美眼はかなりのもの。そのRの最大の欠点は酒好きなこと。それも並み大抵のものではありません。酔って暴れるというのでもありませんがなにしろ、飲み出すととめどが無い。顔は飲めば飲むほど青白くなる。お店のカウンターの中での仕事中に盗み酒をやらかして、あげくが突然ばったり昏倒することの繰り返し。それと女性にもてるらしく、あるとき、店の中で、親父とRが神妙な顔付きで話し込んでいた親子連れの娘さんのお腹が妙に膨らんでいたように覚えている。それでも親父は頼りにしていたんでしょう。明石で店を出した時から世話になっているN氏の奥さんの末妹との縁談が持ち上がり、N氏の興業関係で加古川で初めての駅前映画館ビルがオープンするに伴い、その2階にさんよう喫茶・加古川店を出店し、その店をR夫婦に任せることとなりました。その縁談の相手が今夜のお通夜のY婦人というわけ。そう昭和31年のことでした。
親父が血縁関係でお世話をした人は、10人は下らないが、このRにはN氏の関係からか、とことん尽くしあげたように思う。そのころの私の口癖は、「うちの親父は親にもつより、伯父さんに持つほうが上だね」であったほど。せっせせっせと加古川に通い詰めていた親父が、数年経って、N氏に言われて、現地で購入してこの夫婦を住まわせていた寺家町の家と、加古川店すべてをRにiゆずり渡したのが、昭和35-6年ではなっかたか。まあひと財産くれてやったわけだ。そのときの税務上取っていた金100万円の借用証が未だに手元に残っています。R氏も確か100万援助してやるとかで、泣く泣く無償譲渡したわけだ。これも浮世の義理なのか、なにを馬鹿なことをと思いながらもその後、R氏の贔屓で明石での出店が可能になったもとを考えると、仕方がなかったんでしょう。それほど親父はこのR氏には尽くしましたね。
ただ私がずっと持っている違和感は、このR夫婦のその後の行状にあります。加古川での夫婦のあり様はRの行状にやきもちをやいて、熱湯入りの薬缶をRのおでこめがけて投げつけたとか、生傷の絶える間がないような話が聞こえてくる。事実そうだったんでしょう。そうこうするうちに、N氏の奥さんとYとが相談のうえ、ちょうど明石の人丸前に売りに出ている、新築の商店を買って、お互い近くでいようとなったようだ。親父に相談もなく、加古川の家とお店の設備と暖簾を売り払ってしまった。そしてオープンした画廊喫茶が今年で開店43年となったらしい。Rは画廊喫茶のほかに、明石駅前のジャスコ店6階家具のアイ店で画廊・画材の店を出したりしていたが、これは赤字つづきでいたらしく、いつのまにかなくなっていました。なにしろ、そんな経緯からRは私たちの前には姿をほとんど見せないありさま。心底語り合うこともなく、親父にありがとうとの感謝の気持ちを持っているようにもかんじられなかった。・・・そのうち何時ごろだろうか、Rが酔っ払ってお風呂に入っていて、心臓麻痺で死んだとの知らせが来て、それでも葬式の世話を焼いていた親父のことを思い出す。爾来30年ほとんど交流もなく、私が困りに困って、100万の証文を見せて、何とかと頼み込んだ時も、門前払いの仕打ちだ。これほど尽くして尽くしがいのなかった奴は我知らずの境地。・・・そのことを喪主として並んでいる兄弟はどこまで知っているのやら。
たいがい恨み節は云わない私ですが、この件に関しては、とうとう胸のつかえが下りることなく、幕引きとなってしまった。