山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

時代の子・両国国技館 全国2位

7ee29a26.JPG先日より神戸商大サッカー部のOB対談を開始。といっても学部1回殿村氏とお話をしただけだが、その際頂いた資料の整理だけでも大変なことになっております。というのも、ただ単なる記録として整理すれば簡単な話ながら、いちいちその資料を吟味賞味して尽きることを知らない。こんな調子でなら先行きどれだけ時間がかかるやら。
特に面白かったのは高商1-3回生の創部時代の詳しい記述を読んでみるに、今まで伝説的に聞いていた実績が、ごく普通の、われわれと変わらぬ少年たちによって残されたものであることを発見したことです。
これと同じことが、伝説として語られる明石高校音楽部・OB吹奏楽団が打ち立てた全日本吹奏楽コンクール4回優勝・日本一の頃のメンバーだった自分自身が、高商1-3回生の方々と二重写しに感じたことでした。
明石高校一年生入学(昭和32年1957年)の1月に明石高校OB吹奏楽団が結成されていて、全日本の吹奏楽コンクールに一般の部が新しく設けられることになった。戦後12年いよいよ世の中も落ち着いて、中・高・大学・職場と吹奏楽が広がっていく中、一般人による楽団の普及・充実を図るため一般の部を急遽立ち上げたというわけ。といいながらまだまだ一般人だけでの十分な楽団編成は困難を極める。そこで暫定処置として、現役高校生の参加が許されることとなった。わがOB楽団の結成もこの処置を受けてのことと、連盟から是非のとの申し入れがあったがためでありました。・・普通なら高校生が一般人に混じって出ていいわけがない。
そんな事情があって、一年生の身ながら、一般の部に出演し、全関西大会で優勝。全日本が東京は両国国技館で開かれる。しかし自由曲はベートーベンの交響曲第一番第二楽章であまりトロンボーンの活躍する余地はない。
それなのに写真でわかるようにTBが6人もそろっている。編成上もきっと一年生の西江か津野が外されるのではとのおもいがあった。一日追い込み休憩時間、トイレに行くと、有永先生(指揮者)とならんで用を足すことになり、恥ずかしくてもじもじしていると、横向きのまま、先生が「心配することはないぞ、みんな一緒に東京へ行こう」と言って下さった。「ハイ」と自分でも驚くほど大きな声で返事をして、早々にその場を離れた。あの時の思いがけない言葉の嬉しさと、下半身の生暖かい湿っぽさの感覚はいまだに残っている。