山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

土佐の大作曲家・弘田龍太郎

来る11月9日神戸ポートピアホテル大輪田の間で開催される高知県人会近畿連合会総会のアトラクションにお願いした男声合唱団シルバーボイス(結団19年目)演奏曲目について、当会須藤淳会長より弘田龍太郎の童謡を取り上げてくれるよう強い注文が出た。この合唱団の紹介者でもある須藤会長は、ただ単なる合唱の披露にとどまらず、懐かしい土佐の、いや日本の故郷を思い起こさせる童謡。それも土佐出身の弘田龍太郎とのリクエストはさすが元神戸外国語大学学長の品格を感じさせる秀逸なる提案でありました。
弘田龍太郎は明治25年(1892年)土居村西木戸(現在の安芸市土居)に生まれる。父は教育者で、明治初期に高知県議会議長を務めた弘田正郎。母・総野(房)は一弦琴の名手で、龍太郎の音楽的才能は母譲りのものでしょう。3歳の時高知を離れ、千葉師範学校付属小学校、三重県立第一中学校卒業。同43年、東京音楽学校(現東京芸術大学)器学部ピアノ科に入学した。後に珠玉のような童謡を生み出す彼が、器学部からとは意外な気もする。在学中に歌曲『昼」を作曲するなど、多彩な音楽活動を繰り広げるが、ここは童謡に絞って紹介すると、文部省唱歌「鯉のぼり」も最近の研究で龍太郎の学生時代の作曲であることが判明したとか。
童謡にいたるきっかけは、北原白秋を中心とした童謡運動「赤い鳥運動」に参加。『靴が鳴る』・『浜千鳥』・『叱られて』・『雀の学校』・『春よ来い』などの名曲を次々発表し、童謡・歌曲作家としての地位を確立した。
歌曲『千曲川旅情の歌』や仏教音楽『仏陀三部作』オペラ『西浦の神』など。昭和27年『1952年)11月17日東京本郷弥生町の自宅で永眠。時に60歳。
他に山雀太夫・ねぎ坊主・貝がらの夢・金魚のひるね・村祭・おやまのお猿・おうち忘れて・雪うさぎ・ほうほう蛍・今夜のお月様・とおせんぼ・おしくらまんじゅう・薔薇と花子(与謝野晶子詞)。
私のかなわぬ願いは、万人の心に残る童謡を一曲残すこと。龍太郎さんに肖って、この際頑張ってみようかな。