山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

世にも不思議な光景・JAZZPARTY①

CIMG0455.JPGJAZZクラリネットの名手・北村英治師匠は相変わらず若々しいお顔でフアンに取り囲まれて談笑中。明石の市民会館の公演担当の広瀬君が無類のJAZZ好きで、私がやっていたMUSIC・INN ボサリオの常連の一人。その彼が職権を乱用して、北村英治を招いてボサリオのバンドと共演させる企画を強引にすすめた。ほんと官の力は強いは。北村師匠も二つ返事で来演を快諾。『JAZZ街あかし』と銘打っての公演が1976年11月5日明石市民会館中ホールで開かれた。その時の我々のバンドが「伊藤隆文とボサリオ一座」。御客もそこそこ入って、アフターのボサリオでのジャムセッションも盛り上がり、北村英治のクラを真近で堪能したことを思い出す。
余談になるが、JAZZに理解を示す貴重な存在であった広瀬君は、その後立て続けに、渡辺貞夫・日野皓正とJAZZの巨人の公演を組んだが、JAZZ夜明け前の明石であったんでしょう、さんざんの不入りで、舞台の袖で涙を流さんばかりの広瀬君を慰める言葉もありませんでした。その後彼は早速移動となり、行った先が、土木課。何という人事であったことか。つい最近役所で出会って聞いたところによると、今は天文科学館で楽しくやっているらしい。
ロビーには早々と紳士淑女が参集。しきりとあいさつを交わしているところを見ると、どうやら永年通いなれたイベントの常連ばかりといった雰囲気。その年齢も後期高齢者前後のカップルが多い。女性連は意外と和装が目立ち、思いっきりおしゃれのいで立ち。圧倒的に夫婦での来場者が多いことが分かる。これはやはりJAZZの影響か。モダンボーイ・ガール達は年を取ってもボールルームにはカップルでお出掛だ。
やおらウエルカム演奏のうちに開場となって席におさまる。舞台右そでの13番テーブル。当日予約にしてはまあまあの席だ。
主催者・末広光夫氏の挨拶・司会で前夜祭の開始となった。のっけから末広氏の声がかすれているのに気づく。歳相応の変化なんだろう。それにしても年寄りばかりだ。