山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

株式会社入江商店②広畑出張所から君津出張所へ

泉大津・日鉄ドラム構内の一番奥まったところに、現在河井雄輔氏が経営する ナニワプロジェックス事務所が有った。営業品目をHPで拝見するに、放射能検査機器を主に、やはり入江商店で手掛けておられた分野の取扱が並ぶ。河井氏とは平成2年頃か、医療廃棄物処理に関する新規事業という分野で、一瞬ご一緒して、八幡まで出向いたことが有って以来、もう18年も会っていない。
 かなり大きなドラム缶製品倉庫に隣接の事務所とあって、2階への階段がすこぶる高い。前の社名が博多商工とかで、その後の名前を聞いていなかったので多少の迷いはあったが、前回2-3年前か、この泉大津・臨港町に工場用地を探しに来た時に、会社所在地近くまで行きながら、時刻が遅くて会えずじまいでいた。
 思えば入江商店・広畑出張所配属が昭和41年(1966年)4月。それから1年は、9時出社、即スクーターで中門前のめし屋に直行、遅まきの朝飯を頂いて一服。やおら製鉄所構内に入って一日中、各所御用聞きに回ることに専念した。おかげで製鉄所の隅隅まで探検できた。おもな取扱いは酸素発生装置のメンテナンス。ここの神戸製鋼製のSRM圧縮機のローターが頻繁に焼きつけを起こし、そのたびごとに、高砂工場へローターを抱えて走ったり、圧延ロールの荷降ろし作業に立ち会ったり、定期修理時の化成工場他の冷却パイプの酸洗工事となにせ汚くて、重くて、臭い現場での一年だった。その翌年、河井氏が課長として本社から転勤して来られて。今聴くと初めての現場勤めで、左遷扱いでかなり臍を曲げていたらしい。そんなことは知らない私には連日、事務所のガレージ前で、ゴルフの素振りに余念のない河井課長に余裕をすら感じていたことです。
そんな年の7月、急きょ千葉県君津出張所への転勤を命じられた。いよいよ君津製鉄所の建設が進み、入江の得意とする機材関連の受注据え付け作業が増え、現地での手が足りなくなってきたことかららしい。
明石駅で母親・桜町の菊枝伯母・弘子ちゃんに涙ながらに送られて単身、秋葉原から房総西線に乗り換えて木更津を目指す。湾岸の化学・石油工場のイルミネーションに目をうばわれながら着いた千葉駅で乗り換えて、木更津までは単線だ。木更津市富士見町にあった出張所には50歳はいっているように見える30前の若松氏と商大サッカーの9年先輩の森本係長が先遣。藤井所長は入江でも一匹オオカミとの噂の高い曲者らしい。・・・まさに流れ流れて木更津のお富さん気分だ。