山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

1974・三男誕生とブラジル建て替え

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1974(49年)お正月の写真には、もう茶目っ気に走っている長男がひんがら目をしておどけ、次男が親父の膝を独占して悦に入っている。その傍らのしんどそうな顔付きの弘子ちゃんは、この17日後の1月18日に三男を産んだのだから、臨月もいいところだ。
このころ、喫茶リオ・ブラジルが2階を借りて営業していた、明石東映映画館が、ダイエーの増床計画により、建て替えることになりつつあった。
建て替え工事には約1.5年を要する大工事。その間、映画館側が仮営業の場所の確保だけは請け負ってくれたものの、仮営業のともなう損失補てんは一切なしの状態で、ただ新築のダイエービル地階に計画している食堂街への入居は最優先で、少々家賃も考慮して、仮営業損失の補てんに充てるというものでした。
てんぷらマル一のカウンターに座ったゴッドファーザー永田のこの駅前開発計画には従うしかなく、親父は虎の子のゴルフの会員権・大神戸、神戸明石の二つを売って仮営業を乗り切ることになる。
今もブラジルの開店日を調べてみると、19748(昭和49年)12月1日となっているところから、もうこの正月は建て替え工事に入っていたんじゃないかな。ボサリオのあった新納ビルの西隣。山陽電車の持ち物で、当時神姫バスの駅前車庫として貸していた広場のほんの一角にプレハブ2階建てを仮設して、その2階で仮営業となった。山陽電車との交渉にゴッドファーザーのお供をしたことを思い出した。

三男の誕生で、わがファミリーの態勢は整った。かくして20年にわたる子育て戦争もその序章を迎えたわけだ。69d65b1b.jpg


















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