山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

かっ飛び八十八ヶ所三十七番ー四十七番①

この月末からの一週間。去年の十月から営営と続けてきた大型案件の正念場を迎える。この土日、とても家でじっとはしておれない気持。ちょうど高速道路通行料千円が始まるのを奇貨として、お礼詣りに八十八ヶ所土佐と愛媛の三十七番ー四十七番巡りに急遽出かけた。
二十八日午前十二時53分出発。第二神明大久保ICから明石大橋までは15分とかからない。この時間に明石から淡路に渡るのは初めてのこと。世の中には、こんな機会にすぐさま反応して便乗する私のようなイチビリなど山ほどいるに違いないと、SAを横目に眺めてみるに、駐車している車は少なかった。前後に車の陰もほんの少し。こんな深夜から走り出す馬鹿も少なかろう。鳴門の料金ゲートを通過。割引1000円と表示された時には弘子ちゃんと思わず歓声を挙げた。高松道を板野で乗り換える。250円と表示。そこから徳島道をひた走り。いつも立ち寄るハイウエーオアシス吉野川までノンストップで179.5K。午前3時8分だった。
僕の目論見では納経所が始まる朝7時までには37番岩本寺窪川)の門前に到着しておかなくてはならない。
若干の仮眠を取るつもりが、そうは易々と眠れない。それではということで走り出す。川之江JCTから高知道だ。高知ICまで後80Kほど。最近2車線となって、ますます走りやすい。トンネルの多さも半端じゃなくて19ヶとあった。土讃線のトンネル数にはかなわないけれど。土佐PAに着いたのが5時20分だったから多分高知Ic通過は4時45分ころだったか。
こんな時悪い癖で、すぐ昔のことをおもいだしてしまう。車を運転しながら昭和63年12月16日のこと。
ブラジルのビルへの補償金を担保に借りていた日新信用金庫の残債1500万の返還を迫られ、おまけに運転資金の調達をいれると2500万の資金繰りが必要。八方手を尽くそうにも金額が大き過ぎる。遂にギブアップかとなって、最期に頼った先が従弟のM君が娘を嫁にもらっている須崎市のマリンゼネコンの総師である西村のおんちゃんだった。親父ともガキの時分からの付き合いがあって、須崎では知らぬものがない、創業社長。若いころから潜水服を着て海中に潜り、マリンゼネコンの草分け的存在で個人名義の自動車学校を経営するなど地方の財閥だった。
なんのアポイントもとらず、そのころはまっていた深夜ドリームラーメンを営業を早めに終えて、予備校の送迎に使っていたハイエースに飛び乗って岡山を目指した。後で聞くと、この時おふくろはもしかして伸一は帰ってこないんじゃないかと思つていたらしい。確かに大歩危小歩危でハンドルひとつ切り間違えば簡単に一貫の終わりとなります。
けれど高知へはまだ旧道の頃で、せっぱつまった気持で車を走らすのは避けて、岡山駅前に車を置いて宇野まで電車で行き、窪川ゆきの南風号始発に飛び乗った。たぶん須崎についたのは午前10時ころではなかったか。
今や、苦心惨憺して走った須崎の近くまで僅か4時間でやって来れた。
もちろん須崎での2500万の調達は奇跡的に成功して、人の温かさに巡り会え、その後の立ち直りのきっかけを得ることとなりました。
そんな思いを馳せて土佐PAでの一服後、須崎東の料金ゲートを通過。またも割引1000円と表示。
この昭和63年と平成21年の落差は何なんだろう。