山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

37番岩本寺と谷干城生誕地

窪川・37番岩本寺門前にたどり着いたのが7時過ぎ。安和、久礼、七子峠を経てかっての土讃線終着の窪川。名前だけは知っていて、幡多地方の中心地であり、土佐の人物の主生誕地でもあることは知っておりました。県人会の麻野名誉教授の古里でもあることを昨夜の理事会で聞き及んでおりました。おまけに先生は金襴の納め札を持っておられ、それはなんと八十八ヶ所一三一回目巡拝とありました。
私が平成16年11月6日から始めて丸4年半でやっと六十八所を終えるとこまで。気の遠くなる回数に感服。
実はこんな早朝からのお参りは初めてのことで、納経所が五時までのことは知っていたが、さて朝は何時からだろうと境内をのぞくと、すでに何組かのお遍路さんの姿が見える。七時から始まっているとのことだ。
今は四万十町窪川となっていて道案内に谷干城生誕地の表示を見つけていた。
谷干城と言えば坂本龍馬を厚く尊敬し龍馬が暗殺された時には、真っ先に現場に駆けつけ、瀕死の状態だった中岡慎太郎から事の仔細を聞き出し、生涯かけて龍馬の暗殺者を追ったことで有名だ。また西南戦争の際には熊本鎭台司令官として西郷軍と対峙、熊本城を守り抜いて戦争の勝敗の流れを変えた人でもあります。
土佐ッポの私としてはお参りせざるを得ない聖地のひとつ。早速岩本寺に続いてお参りする。CIMG2451A.jpg


























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