山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

いろは丸賠償金の行方

龍馬研究第174号が送られてきました。日本一熱心に龍馬さんを研究し続けておられるグループ、高知の龍馬研究会の会報です。そのうちP8の佐々木高行についての研究のうち、「いろは丸の賠償金も処理」の項を以下引用いたします。

『いろは丸の賠償金、7万両はどこへ行ったとよく聞かれますが、これも、佐々木高行が全て処理している。
慶応三年十一月十日、いろは丸賠償金再交渉を受け、長崎にて七万両に減額妥協。海援隊中島信行が6500両を携帯し出航。龍馬亡き後、十二月三十日、長崎にて、海援隊士一同に対して、15,345両余りを分配。大洲藩へ42,500両をいろは丸の賠償金として返済している。』

この金を岩崎弥太郎がどうにかしたのではなどという疑いは、まったくのデマと知れる。