山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石海峡大橋余話・10年後の明石作文集

平成元年(1989)、そのころはまだ明石人丸ライオンズクラブに属していて、この年が創立20周年の節目にあたっておりました。私は2度目の第三副会長で記念事業担当でした。
今日まで続いているアンサンブルコンテストに小学生駅伝と良いアイデイアがそんなに沢山あるわけもないし、継続性のある事業はとてもじゃないが財政が許さない。それでもいまこの時点で意義のあるものを取り上げなければならない。
そこで考え付いたのがまず明石海峡大橋が完成する10年後の明石はどうなっているのか、小学5・6年生を対象に作文を募集し、厚かましいことながら優秀作品を選び作文集を作ることだった。題して『10年後のふるさと明石を語る』。
当初作文のみ考えていたが、文より絵が得意な子供たちもおろそかにできないということで『郷土明石の身近な文化財』絵画コンテストも同時に行い、色刷りとはいかないが作文集に合わせて掲載することになった。
そうと決まれば後は日頃の人脈を頼って早速お願いに走りまわる。
常々、明石の小学校教諭の中でも作文といえば明石小学校校長の三谷正信先生、絵画といえば恐らく40年のお付き合いになろうかという鳥羽小滑降校長中井禎一先生と頭にありましたから、あとはお願いにあがるのみ。両先生ともお話を申し上げますと即座に了承して下さり、募集範囲を旧明石市内の6小学校と私の母校神戸大学教育学部付属明石小学校の5・6年生とすることまで決定した。
出来あがったのは70ページほどの小冊子であったが、そのもう一つの目的は10年後、明石海峡大橋がかかる頃。この子たちが、大学を卒業して社会人になる頃、もう一度読み返してくれたなら、どんな感想を持つだろうかということだった。
もちろん、この作品群は明石勤労会館で展示会を開いて一般市民にも披露した。
ところが、この明石人丸ライオンズが3年前に解散、10年後を期してこの子たちに呼びかける母体がないまま
私も手を拱いて今日にいたっております。
改めて拝見そてみるに、このまま埋もれさせておくには惜しい宝物であると自認。機会を見て呼びかけ発表をしないともったいない気がしております。
img364A.jpg

































img365BC.jpg