山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

津本陽再び①明石大空襲

 2008.7.12のブログで作家・津本陽の和歌山中学4年生時、はるばる明石・川崎航空機での勤労奉仕体験と大空襲の模様を記した記事を紹介した。
12月に入って日本経済新聞の「私の履歴書」で津本陽氏が筆を取り始めると同時に、この明石での勤労奉仕・大空襲の詳しい記述があるものと期待していた。
前回はこの地、明石でまさか坂本龍馬を書かせれば当今第一任舎である津本陽氏が苦労をされていたんだという驚きが勝っての取り上げでしたが、あれから一年余、よくよく考えれば、当時小生は4歳2ヶ月。その当時のことなどまったく記憶にないんだが、唯一小高い丘に立って眺める空が真っ赤に燃えあがっている光景を思い出す。
これが津本陽氏が描くところの川崎航空機明石工場大空襲と符合する。
両親が居を構えていた西新町は川崎航空機明石工場とは指呼の距離で、爆弾が工場をそれて着弾する範囲もいいとこだ。祖父の散髪屋の知り合い客を頼って今の西区上津橋へ疎開していた。弟はその馬小屋で生まれている。
お互いB29の爆音のもと、生きるか死ぬかの状況下にあった連帯感のようなものを感じるわけだ。