山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

津野興亡史③続・千年前の土佐・須崎

 そこで、時の鳥越城主某は、このままに捨ておいては、如何なる大事に至るかも知れないと考えて、軍勢を仕立てて、鎭定しようと努めたが、なにしろ彼等は無慚の兇徒で、そのうえ行動の敏速なこと比類なく、まさに出没自在の有様でありました。
南に居るかと思えば、北に現れ、領主の軍は不意を襲われて陣を立て直す暇もなく破れた。
その手ごたえから領主の軍が脆いと知ると、賊は脱兎の勢いで逆襲し、遂には領主を殺してしまうと言う有様。
暴徒は之に乗じいよいよ勢いを増して、その毒牙は至るところに及び、ますます凶暴となり、須崎の人心はその影を見ただけで戦慄し、一日として安らかに暮らすことが出来ない有様でした。
その為、須崎一帯は荒野と化してしまうのではないかと思われる程の暗黒の時代でありました。
このような状態で、須崎の土民等が有力なる城主・指導者を得たいとする心は、ちょうど干天に雨を乞い望むかのようで、寄るとさわると、その話のみをしていたところに、ちょうど来合わせたのが経高主従一行であったというわけです。