山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

ブラジル紀行準備①


今回のブラジルツアー。もともとが弘子ちゃんの中高同級生で世界的に知られているブラジル在留、中村矗氏が来日した折に、是非ブラジルにいらっしゃいとの外交辞令に手を挙げた8人。
その後、夫婦組が単身となるなどして、5人組でのツアーとなった。
最初は4月決行となっていたが、私の妹ががん宣告を受け急遽延期となっていた。
それから、必死の病気手当の結果、粒子線照射を受け、なんと奇跡的に小康をえることとなった。
お世話になった県人会の青山ドクターにこの事を報告すると、奇跡ですよコンなこともあるんですねと驚嘆されるばかり。それほど厳しい状況を潜り抜けた。
となれば、せっかく計画されていたブラジルツアーを我々の方から中止するとは云えなくなった。
9月になって招集が懸かり、いよいよツアー決行との話となった。
以上がこのツアーの経緯だ。
今日になって、行く以上は気懸りなことは突き止めようと、今回何かとお世話になっている、中村氏の友人リオ在住、日伯協会の柳井氏に70年前、ブラジルに移民した親父の姉一家の消息調査をお願いする長いメールを送った。
さて、どうなることやら分からないが、15年前には姉と長男夫婦が来日して、その折の礼状があり、1月に消息を尋ねるエアメールを出したが返事がなかった。
もう5人いた従姉弟連中も居なくなって日本語を読むことが出来ないんじゃないかなど想像してみるが、何とか連絡だけはとりたいものだ。同じブラジル国内といってもパラナ州はリオ・クリチバとはやはり飛行機で行くような結構な距離がある。