山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

東日本と西日本

関西電力の前身である大阪電燈は明治末期、燃料輸送に便利な南堀江の道頓堀岸に発電所を作った。(このレンガ造りの建物はのちに宇治川電気の変電所となり、その後長らく倉庫として使用されていたが、関電の超高層マンション建設のため2004年に取り壊された。)当時は東京電力の前身東京電燈が直流方式の送電を用いて関西へ進出したが、大阪電燈は電力ロスが少なく安価に電力供給できる交流方式で対抗した結果、東京電燈は競争に負け大阪からの撤退を余儀なくされた。東京電燈も後に交流方式へと転換したが、対抗意識があったのか大阪のアメリカ製60ヘルツ発電機と異なるドイツ製の50ヘルツの発電機を購入したことが、今日まで東日本(50ヘルツ)と西日本(60ヘルツ)の周波数の違いに影響している。

以上は今関東を悩ましている定期停電の解決策に西日本から電力を送れない原因のそもそも。
日本列島はホッサマグナで2分されているように、電気のHZが50と60に分断されて140年を過ごした。
この大震災はこの国が抱える色んな矛盾を悉く炙り出した。この電気の問題もその一つ。
問題はこの差異が今までも取りざたされながら、先送りされてきたこと。あの壊滅的な敗戦後もあえて見送られた。
この対応は日本の全ての事象に普遍である。この体質が再びこの大震災の復興過程で繰り返されんことを祈る。この先送り体質から脱皮しなくて新しい日本への展望が開ける筈が無い。