北陸越後1540K激走の終わり、一気に新潟から福井ICへと向かったのは、どうしても福井での龍馬さんの足跡を確かめたかったからだ。
2度の福井行きの内、いよいよ大政奉還となって新政府の財政上の施策の相談に福井にあった三岡八郎(由利公正)に相談に向かった際、福井入りした九十九橋の風景と、京橋たもとに在った由利公正邸跡、そして春嶽公の福井城址等、ただただ往時を偲ぶよすがを求めて走り廻った。
福井城址(北の庄跡)は県庁の建物で埋め尽くされている。家康の二男結城秀康公の像のみが往時を偲ばせる。
由利公正寓居跡と京橋
龍馬が福井に入った九十九橋
龍馬が止宿したたばこや跡
例の龍馬新聞によると