山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

G24回八隅定夫主将回顧


学部24回 八隅 定夫

昭和45年の商大入学と同時(またはそれまでに武山主将と小笠原副将が京都の家まで勧誘に来られた記憶が残っています)に商大サッカー部に入部しました。 歴史のある商大サッカー部への心躍る期待とかすかな不安が記憶に残っています。 筒井、荒木、土井の3名が最初から最後まで一緒。途中島尻が入部し持ち前のムードメークにて最後まで盛り上げてくれました。

記憶に残る試合は色々ありますが、当時盛んに開催していた3大学(岡山大学広島大学、商大にて5月頃持ち回りで主催)定期戦にて同点優勝も含め、4年間勝ち続けたこと。 特に3年、4年だったと思いますが
強豪の広大にも完勝して完全優勝したことは特筆物かと思います。

入部前年に2部(当時は一部も二部も1リーグで、8チームずつ)に昇格いただいたおかげで、一部昇格は目指しながらも3部に落ちたら面目ないと、そのプレッシャーが結構ありました。 秋のリーグだけがその年の1昇格・降格に関係するいわば一発勝負。 メンバーが少ないことと、頑強な身体のおかげか、4年間リーグ戦をフル出場できましたし、 なんとかずっと2部にてプレーできました。 リーグ戦で思い出のある試合は、3回の時の大阪体育大との試合。 強豪の相手に対し、1対1と好勝負。 センターフォワードの小生に独走のチャンスが生まれたのですが、あせって蹴ったボールが無残にもゴールからころころとはずれ、勝利を逃したこと。 この年は3位でしたが、ゴールできて勝っていれば一部昇格も夢ではなかったと悔やまれます。

もう一試合は4回の主将のときですが、雨上がりの対立命大戦。これに勝てば2部維持、負ければ降格の可能性もある試合。 相手のキーパーは2部では有名な名手。 0対0の均衡のなか、スローインからのボールがうまく小生のところに来て、ワントラップで思い切りゴールに向って蹴りこみネットを揺らしました。 うれしいやらホットするやらの一瞬は今でも鮮明に記憶しています。 この試合の影のヒーローは留年しながらサッカー部に残留いただいた中田先輩。 試合早々相手の名選手とガチンコ。 相手はすぐに退場し、中田先輩も血がとまらず後半救急車(いつものように渡部先生が同乗)で運ばれました。これも商大が優位に試合を進めた大きな要因です。

合宿の思いでも色々あります。 1年の時は、商大でやったので食事の後片付け他、色々な雑務があり、同じ場所なので気分転換にもならなかった記憶。 2年は信州の山奥で、グランドと宿舎が遠く、走って帰るのに時間がかかったり、ブヨにかまれたり。 3年は新宮で芝生のグランドがうれしかったのと、宿舎のトイレ(肥溜め式)が鼻が曲がるほどくさかったこと。 4年は、しっかりもののマネージャーであるはずの土井君がなかなか場所をさがしきれず。 沖縄旅行の帰りに福岡の志賀島国民宿舎にたまたま泊まった小生と島尻君とでそのグランドがなんとか使えそうだし、これほど遠いとうるさい先輩も来ないだろうと密かに期待して決めました。しかし結果的には福岡の雪印に勤務されている先輩や関西からも多くの先輩に来ていただきました。 土井君が九大と交渉してゴールを借りてトラックで運びいれたことや、木のトンボを作って神戸から持ち込んだこと。また練習試合として当時九州で最強の福岡大と九州産業大の連合チームをしましたが、歯が立たず5対0でやぶれとことなどが記憶に残っています。

色々な記憶がよみがえりますが、今も楽しくお付き合いいただいている良き先輩、後輩とゴルフや飲み会で昔話をするときが一つの大きな楽しみになっております。商大サッカー部に入って本当に良かったと思っています。

(対戦成績)
2勝2敗3分けで5位との関西サッカー連盟の記録ですが、個別のものは残っていないようです。 かすかな記憶をたどると下記のような戦績だったと思います。(立命と甲南は間違いなし)

1973年(昭和48年)リ−グ
  本学 0 − 1 大阪大
     0 − 3 大体大
     2 − 0 神戸大
     3 − 3 甲南大
     1 − 1 近 大
     1 − 0 立命
     1 − 1 天理大
    2勝2敗3分 2部5位