山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

2011-07-04から1日間の記事一覧

G27回 新谷正志主将回顧

部27回 新谷 正志入学式が終わり、商大下で下宿をして2週間くらいが経ち、ちょっと落ち着いてからサッカー部の練習を見学に行ったときには、もう同期の三上と駒井は練習をしていました。2ヶ月くらいあとで商大サッカー部初めての、女性マネージャーの角…

G26回 立花正一主将回顧

学部26回 立花 正一ほぼ40年前(1972年)入学式の直後、1年先輩の鈴木さんに捕まってサッカー部の練習をグランドの土手の高いところから見学させてもらいました。サイドラインからサイドラインまでボールリフテイングしているのを見て、高校時代は「とにかくボ…

G25回 鈴木義久主将回顧

学部25回 鈴木 義久1971年入学直後に郷土の先輩である中田さん、八隅さんに自宅まで来て頂きSoccer部への勧誘を 受けました。当時、高校の3年間soccer漬けだったので、大学では少々のんびりしようと躊躇しつつ 練習を見学に行き、やはりボールを蹴りたくなり…

G24回八隅定夫主将回顧

学部24回 八隅 定夫昭和45年の商大入学と同時(またはそれまでに武山主将と小笠原副将が京都の家まで勧誘に来られた記憶が残っています)に商大サッカー部に入部しました。 歴史のある商大サッカー部への心躍る期待とかすかな不安が記憶に残っています。 …

G23回 嶽元幸広主将回顧

淡水サッカー80周年原稿 G23 嶽元 幸広昭和44年に商大に入学、中高とやってきたサッカーを大学でもと思い早々に入部を決めました。最初はやたらと体力トレーニングが多くて、練習が辛くて仕方がなかった印象があります。それでも徐々に体力がつき始め、夏の…

G22回  中村賢一回顧

学部22回 中村 賢一最後のホイッスルを聞いてから、かれこれ40年近くたってしまいました。 いったいどのようなシーンで終了のホイッスルを聞いたのでしょうか。 まるで記憶にありませんが、さぞかし悔しい思いをしたのであろうと、戦績を見て想像しています…

G21回武山照夫主将回顧

学部21回 武山照夫 3回生の3部リーグ戦を優勝し、2部昇格を賭けた靭公園での大阪市大との入れ替え戦。水野キャプテンの右からの絶好のセンタリングに体から飛び込んだ決勝の1点。しかし歓喜もその晩だけで翌日からは「来年すぐに3部へ落としたら丸坊…

G20回  水野良一主将回顧

学部20回 水野良一 高校時代の3年間は勉強とサッカー両立を目指し、大学に入っても続けたいと思っていたところ亀井・浜口先輩の自宅訪問による勧誘で、なんの躊躇いもなく入部したのを覚えています。 1年生10数人の中で、経験者は数人(上村・榎・水野…

80周年記念原稿到来・第3期黄金期詳細記録 1969年ー1976年

「2部中堅として健闘」−1969年〜1976年 学部17回 吉田 進 私が監督をやるようになったのは1968年(昭和43年)秋です。当時大学側で監督をする先生がいなかったが、なぜ卒業間ばかりの私がやる事になったかは いまだに良くわかりません。 たぶん4回生…

高木仁三郎の死

1988年の「朝まで生テレビ」の原発論争の中で、高木が原発コストの東電の算出基準に切り込んで、東電の保障枠を100億とし、それ以上は政府保証とする根拠のあまりの緩さに呆れかえって、原発が生むプルトニュームの安全管理だけでも毎年巨額の費用が…