山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

G25回 鈴木義久主将回顧

学部25回 鈴木 義久

1971年入学直後に郷土の先輩である中田さん、八隅さんに自宅まで来て頂きSoccer部への勧誘を
受けました。当時、高校の3年間soccer漬けだったので、大学では少々のんびりしようと躊躇しつつ
練習を見学に行き、やはりボールを蹴りたくなり当日入部していました。

一年生の春からすぐに試合に使って頂き、大学の4年間 先輩、同僚、後輩の御蔭で全て2部でplayする事が出来ました。2部で公式戦を28試合戦った訳ですが、40年近くも昔の事ですので、数少ないですが、記憶している試合や思い出を思いつくまま書かせて頂きます。
先ずは2年生の時、当時は4-3-3のformationの全盛期で嶽元先輩、小浜先輩と小職で中盤を形成して
いました。此の3人の中盤は大体大の試合でも、立命大の試合でも中盤は対等以上に戦えて、良くpassも回せたし,相互のcoverも意思疎通が出来て、小職は攻撃にも積極的に参加が出来た楽しい思い出があります。一部への昇格の可能性が有ったteamでした。

4年間を通じて、いつもギリギリの少ない部員メンバーで、強豪校、伝統校や新鋭校相手に良く戦ったなあと思います。商大の伝統と思いますが、個々の技術や層の厚さでは負けますが、体力、気力だけは絶対に負けない為の日頃の練習と年代を超えたチームワークがあったから善戦出来たと思います。
大学生活の最後の試合はリーグ戦で7位となり、入替戦を戦い、残留を決めて、安堵感とこれで大学生活も終わりだなと寂しい複雑な思いが有った事を覚えております。 
今、思うと、戦術面での研究、工夫や練習方法を変えていれば、勝てたり、負けない試合が出来たのではないかと反省しますが、当時は余裕も無く、精一杯でこれも青春のいい思い出とも思ったりします。

卒業後も会社や地域のsoccer-teamに入り、趣味のsoccerを続け、ドイツでの勤務時代、日本人soccer-teamの監督兼playerを長年させて頂き、ハンブルグでは高原選手と同じマンションの隣人同士となり、大変親しくなったり、06年のW杯では郷土の先輩である釜本さんとgolfをしたり、故長沼さん(元soccer協会会長)と一緒に食事をさせて頂いたり、20年前には現在JIの甲府の三浦監督と同じteamで仲間となり、soccerを続けていた御蔭で、交友範囲も広がり、いろんな所でsoccer仲間を作る事が出来ております。
その意味でも大学時代にsoccerに没頭出来て、素晴らしい仲間、先輩、後輩を作る事が出来たsoccer部に
感謝しております。

1974年(昭和49年)リ−グ
  本学 0−3 甲南大     
     3−1 大阪大
     3−1 近畿大     
     0−1 立命
     0−4 天理大     
    0−3 神戸大
    0−0 京教大     
  2勝4敗1分  2部7位
    入替戦 
    本学 4−0 追 大
       0−3 追 大
    2部残留