山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

G26回 立花正一主将回顧


学部26回 立花 正一

ほぼ40年前(1972年)入学式の直後、1年先輩の鈴木さんに捕まってサッカー部の練習をグランドの土手の高いところから見学させてもらいました。サイドラインからサイドラインまでボールリフテイングしているのを見て、高校時代は「とにかくボールを前に蹴ること」と「精神力・根性」しか教えてもらっていなかった自分としては、「すごいな!練習についていけるかな?」と不安に思っていたほどですから3年後に主将を努めるなどとは全く思ってもいませんでした。

この間、多少は技術的には向上した部分もあった筈ですが、いかんせん主将としての知識・経験或いはそういった裏付けに基づく自覚も無く、あの懐かしいクラーマーさんの技術書や練習本などを読みながら日々の練習をこなすのが精一杯だったように思います。又、当時は今とは異なり就職活動解禁がリーグ戦前の秋口であり、かつ、第1次オイルショックの後遺症の影響で就職環境が厳しくなり始めたところで、なかなか就職が決まらず正直なところリーグ戦ひと筋というわけにはいかない状況でした。

そうして迎えた初戦は対立命館大戦でした。4年間の学生時代の殆どの試合の記憶はありませんが、前年度の追手門大との3部入れ替え戦第2戦(第1戦は4-0で商大の勝利)で野間先輩が、自陣ゴールライン上で2試合合計で同点とされる相手のシュートをクリアーした瞬間と、この立命館大戦の一部はよく覚えています。前半幸先良く先制するも終了間際に相手の左コーナーキックから同点となるヘデイングシュートを決められる。そして後半の早い時間にゴール前相手の左FKを私がダイビングヘッド気味にクリアーしようとするも見事なクリーンオウンゴール。当時2年生のキーパーの原田君が逆に動いていたシーンは今でもはっきりと瞼に浮かびます。1対2だと思っていましたが、記録を調べると実際には1対5で負けたようです。

あらためて当時の記録(3勝3敗1分、総得点6総失点15)を見ると勝ち試合と負け試合の得点/失点内容のギャップがありすぎて一体どんなチームで、どんな試合をしたのかと思ってしまいます。前年の苦い経験から何とか3部との入れ替え戦だけには出たくないという気持ちは強くありましたが、薄氷の差であったと言えます。同期の仲矢・的場・山本・足立および新谷はじめ粒の揃っていたG27の面々および後輩諸君の頑張りで曲がりなりにも入れ替え戦にも出ず2部残留が出来たのは正に幸運或いは執念であったのではないかと思います。(敬称略)

1975年(昭和50年)リ−グ
   本学  1 − 5  立命
       0 − 5  京 大
       1 − 0  大阪大
       1 − 0  神戸大
       1 − 1  甲南大
       1 − 0  近 大
       1 − 4  京教大
     3勝3敗1分 2部5位