山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

三宮・北向き地蔵前  鮨 「渾」  

 
偲ぶ会の帰路、久しぶりに鮨「渾」に顔を出す。店主A君は相変わらずの童顔で、しかし職人としての厳しい顔を垣間見せながら、一段と良い仕事でもてなしてくれました。
A君との因縁は2008.7.16付けの「つのしんの独り言」から転記します。

『店主のA君が私の顔を見るなり、思わずノケゾル格好でご挨拶。もう子供が大学生になるとは思えない昔どうりの童顔で迎えてくれました。

いまから30年前、明石小学校・5−6年生を相手にサッカーのコーチを半年ばかり引き受けたことがあります。
長男・次男が小学2・1年、三男がまだ保育園年少さんといったところ。3人をグランドの片隅でボール遊びをさせながら、5−6年生には基本の基本を教えた覚えがあるのです。
まだ野球全盛の時代。それでもおずおずとグランドに集まった20人ばかりで促成チームを結成。
このチームがそのころ市内で強豪と言われていた松ヶ丘小のチーム相手に勝利を収めるというハプニングをひきおこした。
というわけで期間が短かったわりには当時のメンバーの印象は今でも残っている。
A君はその時の一人で、他には牧師さんの息子・N君、やくざの親分の息子・M君、一番うまかったO君、白稜中に進学したI君等。
いまだにそのころの童顔のままに覚えている。・・特にそのA君はのことが気になったのは、彼(2人兄弟の兄)が中学卒業まぎわにばたばたと両親を亡くした事情を知っているからです。
私が明石駅前で飲食店を数軒開けていたうちのMUSIC・INN BOSSARIOの同じビルの地階でA君の両親も居酒屋を開けていたご近所のお付き合いがありました。
そんな事情のなかどうしてやることも出来ずに過すうち、A君が明石一の名門寿司店・菊水鮨にボンちゃんで修行を始めたとの便り。
事実、取引銀行へ通う道筋にその店はあって、それから25年、時にはばったり顔を合わすことも度々。
その都度修行の様子を聞かせてくれました。といっても最後の5年くらいは「何時、店を出すの、独立するの」とせかすことばかり。・・ちょうどその頃から私の身辺も厳しくなって、A君どころではない状況に陥り、5年の沈潜の時代を過すはめになりにけり。
その後、A君が独立したとは聞いてはいましたが。・・やっと小康を得て不動産仲介業で立ち戻り、既述の「ひとまる倶楽部」参加を機に、アンサンブル・コンテスト、小学生駅伝と行事を重ねるうちに、同じ会員の料理屋「お恵」のママが知っているかもと聞いてみると、店の名前から場所まで即答状態。
それがこの2月23日(土)の駅伝打ち上げ会でのことでした。・・菊水鮨には伝説の名人上手・親方「しめやん」あり。その仕込みとあらば鮨は一流の域にあることは当然。その鮨の味に今までの思いが重なってきたから堪らない。思わず30年の時空に遊びながらのひと時。語る話は尽きることなし。今までで一番旨い鮨をいただいた。(お愛想もリーゾナブルです)住まいは明石にあり、毎日明石・うおんたなで毎日の仕入れる心がけ。
繁盛間違いなしとみました。』

皆様も一度お試し下さい。

神戸北野坂・北向き地蔵前   鮨 「渾」TEL078−391−5515