山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

阿波・高知600K⑫浦戸湾遊覧ー袂石

得月楼での両下肢の痛みは何だったのか、高知市観光遊覧船の乗り場に行く5分の徒歩もスタスタ。
その昔、はりまや橋が懸っていた堀川の名残の水路に遊覧船が係留してあった。舟というより平べったいボートと言うべき。デッキの椅子に収まって、浦戸湾を進み、桂浜の先でちょっとだけ外洋に出て、はるか龍馬さんを望める。
龍馬さんも遊んだ鏡川河口を右に見て、弘化台を過ぎる。しきりにボラが飛び跳ね海風は涼やかだ。
以外に速度を上げて浦戸大橋が見えてくる。桂浜が遠いということで町衆が通った月見台を過ぎると、玉島・衣ヶ島・続島が目前だ。
1867年慶応3年9月、龍馬がライフル銃1000丁を携えてさいごの帰郷を果たした際、乗船震天丸が怒りを下したのが袂石辺り。ここに舟を止めて小舟に乗り換え、対岸の中城家にむかいました。
その袂石が眼前に現れた。140年前とたぶん佇まいはほとんど変わっていないはず。まさに浦戸湾入口近く。こうも離れたところに着岸しなければならなかった龍馬の立場が痛々しい。
高さ4メートル、周囲15メートル。

見上げる先に浦戸大橋。橋上は桂浜に向かう車がビッシリ。公園駐車場満杯で待ちの車が数珠つながり。車で向かっていたならこの渋滞に紛れて難渋してたことだろう。