山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

明石・吹奏楽80年メモリアル

明石中学音楽部を源流とする明石の吹奏楽が満80年を迎えた。
戦後教育改革で明石中学校音楽部は明石高校と明石南高校(前身は明石女子)に別れた。メンバーは泣く泣く部室を去って行ったことだった。
しかし、その後も機会を見ては合同練習・合同演奏会と共に研鑽を重ね、交流を育んだ。
それぞれのOB吹奏楽団が出来、コンクールにおいて素晴らしい実績も挙げた。
もちろん明石市明石商業高校にも吹奏楽部が誕生。明石中学OBで中学教諭・山手照夫先生がその熟成に手を貸した。
市内14中学では各校にあった器楽合奏団がすべて吹奏楽団に変身。特筆すべきは、今年定年を迎える、阪本・桑原両先生を筆頭に、明石高校音楽部OBが中学バンドの指導者として多数が着任。お互い凌ぎを削ることになる。
一方、高校レベルでは、たしか県立第三番目として誕生した明石北高校に着任した明石高校音楽部OB・松井隆司先生が早速吹奏楽部を立ち上げた。この時、何しろゼロからの出発で、手元にあったオンボロ楽器を根こそぎ供出した思い出があります。
中学の生徒たちのレベル向上を受けて特に明石北高校の成長は著しく、県レベル、関西レベルへと上昇を重ね、ついには全日本コンクールで金賞獲得の偉業を果たすことになる。
その後設立された城西・清水・西の各高校も吹奏楽部を有し、明石の吹奏楽はその最盛期を迎える。
丁度そんな時、山手照夫教諭の提唱で結成された明石吹奏楽連盟が、中・高一貫での演奏技術向上に取り組みを始めた。
30年前、吹奏楽団としての演奏の場は地域にて、確保され市民との交流も深まってゆく中、これ以上のレベルアップには各人の演奏力のレベルアップが大切との共通認識からその発表研鑽の場としてアンサンブル・コンテストの開催が急務とされた。
これに応じたのが明石人丸ライオンズクラブのメンバーで、あたかも設立5周年の記念事業として青少年育成のイベントを模索していたことと同調し、まずは一度限りを覚悟で明石市民会館中ホールにてアンサンブルコンテストを開催した。
翌年には早くも会場を大ホールに変更し、いろんな天災事故にもめげず以来30年営々と開催は続行された。
その間の連盟関係の先生方の尽力には頭が下がります。
今や、明石からはプロが続々誕生し、市内の演奏人口は1500人(中高生)を数える。ややコンクールでの成績は低迷気味だが、これほど大きなうねりを持つ地域は他になく十分これを誇っていい。
かくして、節目のH23−H24、明石こぞっての吹奏楽80年メモリアル事業をと勝手に思い出した。

音楽である以上、やはりコンサートの形で明石市民に訴えかけるのが本来。
そこで、この80年間で明石が産んだ最高の現役プレーヤーをお招きして記念コンサートの開催はどうだろう。できれば中高生全員に聞かせたい。
そうだ、前座の演奏として、第30回アンサンブルコンテストの各部門最優秀チームを招待し演奏を披露してもらう。これならば、行事化している感もあるアンサンブルコンテストに刺激と活気が取り戻せる。一石二鳥。
もちろんここで言うこの明石が産んだ最高の現役プレーヤーとは呉信一京都教育大教授のことに異論は有る筈がない。
そして彼が率いるハイブリッドトロンボーン四重奏団こそがお迎えするに最高のバンドであることも。
一年生入部以降の土日。主催・共催は相談の上、明石市明石市教育委員会・明石吹奏楽連盟および加盟団体・ひとまる倶楽部・明石高校音楽部OB有志・その他、所属団体OB有志が協力。
といったことで。