山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

龍馬街道⑧雲仙・普賢岳

島原城を堀端から見上げて、せっかくのことだから雲仙を見て長崎に行くことにした。
雲仙と言えばかの普賢岳噴火・破災流の大難事からはや10余年が経つ。
島原市街をでて直ぐに焼け焦げた山が威容を見せる。
R57を辿ってゆくと、雲仙ロープウエーに通じる仁田峠(一方通行)の入口がある。ちょうど運わるく、途中で交通事故が発生して、怪我人運搬の救急車が下りて来るまでは通行止め。
しばし3Kほど先の雲仙温泉街で時間をつぶし、再び仁田峠に向かった。
雲仙とは妙見岳・国見岳・普賢岳の3峯と野岳九千部岳矢岳高岩山絹笠山の5岳を総称しての名前。
これに平成新山=溶岩ドームを付け加えることもあるとか。
山頂にはまだミヤマキリシマ(雲仙つつじ)の名残があって、最盛ならばさぞかしと思わせる。
ロープウエーの眼前には普賢岳の崩落現場が一望。溶岩流は確かに山肌を削って海にまで達していた。
寛政4年(1792)5月21日雲仙眉山で発生した山体崩壊した爆発により高さ50Mの津波が発生して対岸の肥前・肥後の沿岸を襲った。
世に言う島原大変肥後迷惑肥前・肥後併せて死者行方不明1500人と言われる。
有史以来日本最大の火山災害を思い起こさせる。