山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

天佑抜粋②

高橋是清が入閣した山本権兵衛内閣当時
①政治の基本である大日本帝国憲法、すなわち明治憲法は欽定憲法であり、主権はあくまで天皇にあり。
②その憲法により輔弼の任を与えられた陸海軍は、内閣総理大臣から独立して活動する権限を有し、天皇に直接報告する権利を認められていた。
帝国議会衆議院貴族院による二院制。貴族院は公選でなく、貴族や華族、勅任議員によって構成され、多くの議員の任期は終身。
衆議院選出の有権者も25歳以上の男子、しかも多額納税者に限定された。
明治23年に行われた初の総選挙では、全人口のわずか1%が有権者だった。

その後の歴史を顧みれば、我々が日頃おろそかにしている、参政権投票権を得るためにどれ程の苦労と、犠牲を強いられたことかが分かる。
その貴重な一票(権利であり義務である)をさえ、行使しないでいる人々を、さて何と呼べばいいのか。市民・国民・人民・・・どれも違う。・・・雑民としようか。