山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

阪神淡路大震災・フィーバーほぼ終焉

晋災フィーバーほぼ終焉のメモが5月15日大書。
街も落ち着きを取り戻し、売上も徐々に元にもどっていく。震災という人の不幸に便乗してのひと時のシノギはそんなに続くわけもない。それでも、無理をして板前さんを一人雇った。
というのも、ロスで留学中の三男から、大学の卒業式には是非来てくれとの連絡が入っていた。
思えば、この一時のにぎわいが無かったら、卒業式参列などとても行けたもんではなかったろう。
高校卒業と同時にアメリカ・ロスアンジェルスに放り出して、たよるコネは高知県人会ロスアンジェルス支部への尼崎県人会・玉川氏の紹介状のみだった。
それでも、入学のための英語学校通いから初めて、ロスアンジェルス・シティー・カレッジ(LACC)のなんと
MUSIC・COMPOSER科に入学。日本人街のしゃぶしゃぶやでアルバイトをしながら、本人曰く「生まれて初めて勉強しましたわ。」状態で、かなりハードな毎日を送ったはず。三男が大きく成長する切っ掛けとして本当に有益な留学となったわけ。今図書館にいると電話をしてくる。かなり辛くてめそめそ、こちらもたまらず、帰っておいでと声をかけるが、そうなるとこれが帰ってこないんだなあ。
そんな苦労に報いるためにも、どんなところで勉強し、生活していたのか確かめるためにも、是が非でもロスには行かねばなりません。
現地5月25日6:30から卒業式ということで、25日関空をロス向けて飛び立った。