山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

三人の二代目・堺屋太一①

 神戸新聞ほか多数の地方紙に連載された『親鸞』に引き続き、堺屋太一の『3人の二代目』を愛読中だ。
堺屋の歴史観に基づいて、戦国信長ー秀吉の時代を生き抜く3人の二代目(毛利輝元上杉景勝宇喜多秀家)の生きざまを活写していて、知られなかった事実?も多数あり、面白く楽しんでいる。
ところで、今週の天秤傾くー運と勇気(4)になって、秀吉の三木城攻めの下りに、話は進んできた。

この魚住にいわば昼逃げして来たのが平成2年バブルが弾ける寸前。勿論、事業を立て直して、必ず明石に戻ろうと必死にあがいてきましたが、あっという間にもう20年過ぎてしまった。
最近では、実に便利な田舎感覚で、8Fマンションの1階を住まいに、庭いじりを楽しみ、8階は広々、事務所と客室スぺースに活用。まあ変形メゾネットといったところでここ魚住に住みついちゃった。
長男も魚住に永住かと皮肉っていたが、息子3人が東京で飯を食っていることだし、このままでも良いんじゃないかな。

というわけで、20年も住んでいますと、多少その地のことも分かり、歴史も耳にする。
たとえば、明姫幹線・江井が島中近くには、首洗いの池があり、いまだに祟りがあるとか。
なんでも、秀吉の三木攻めの際、魚住で毛利に協力して、お城に兵糧を運びこむ協力をしていたものが、捕まり、刎ねられた首をこの池で洗ったとか。
このことが、もしかして出てくるんではとの期待があり、最近は切り抜きまではじめることに。