山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

不思議な親父繋がり・薗田憲一とデキシ―キングス

 もうターヤンの葬送から一週間が経つ。
我がブログで伊藤隆文の諸事を書き綴ったことをきっかけに、懐かしいPIANO・中川宗和氏の二男さん・宗城君から親父の話を聞きたい旨のメールを頂き、ヘンリーのオーナーボーカル・石井順子さんのお世話で7月2日に明石明舞病院にお見舞いされ交々親父さんのお話を聞くことが出来ましたとのメールを頂きました。
ターヤン(伊藤隆文)とナッカン(中川宗和)はターヤンが関学でナッカンが関大も軽音時代からの知り合いと聞いていますが、年齢的にはナッカンが学生時代にターヤンのバンドのピアノでお手伝いしていたんじゃないかな。
其の二人がかの薗田憲一とデキシ―キングスで半年ばかり同時に在籍している。
1960年11月キングス結成のメンバーで初代トランペットだったターヤンは南里文雄・雄一郎親子とも親交が有り南里文雄の一番弟子ということになっているそうだが、その縁からのキングス参加ではなかったか。
何回か労音でキングスの演奏は聴いたが、初期のスタイルはターヤンアレンジのレパートリーが多かったんじゃありませんか。 赤い靴等の童謡から荒城の月等の日本の名曲をデキシ―風にアレンジした。
2年足らずの在籍だったが、キングススタイルの元を築いたに違いありません。
その薗田憲一・祐司兄弟。トロンボーンの憲一が弟で、兄の祐司はもともとはトランペットで、キングス結成時からチューバを担当する事になったらしい。
ソノケンの名前で一世風靡したこの兄弟は、本名が憲一・市川船昇、祐司・市川鯉之介。
名前からして歌舞伎の役者と間違えそうだが、あえてこの名前を選んだ親父さんの粋好みが伺える。
ところで市川兄弟の親父さんは高知県須崎市吾桑の出身。
我が親父の出身地も須崎市で下分・吾桑と下分は新荘川を間に挟んで直ぐ近く。
もしかして国でなんらかの接触・係わりがあっても不思議でない生活圏に居た。
此の事を知ったのは、キングスを迎えて伊藤隆文とその仲間たちというサンTVの特番でご一緒したあとの事で
市川兄弟に此の事を話す機会を喪った。
残念ながら憲一さんは5年前に亡くなられて、祐司さんも82歳となられて引退された。
憲一さんの御長男・トロンボーンが市川から薗田と名前を換えられ薗田勉慶(本名)となり、新生薗田憲一とデキシ―キングスとして跡を継がれている。
高知新聞につい最近(2008.11)須崎市の里帰り訪問演奏をされた記事が掲載されていて、須崎との御縁も大切にされている、即ち親父さん達が大事にしていた故郷を想っての事なんだと納得した。
親父同志の出身地が同じという不思議な御縁、それもプロと素人の差があるが同じデキシ―のジャンルで席を同じくする機会にも恵まれた。
それもこれもターヤン抜きでは起りえなかったことでした。
此の事を申し上げて、以降はターヤンの思い出を書く最後にしようと思っています。
追伸・・・やっとのことでビデオZACTIをDVDに焼けるようになりました。
伊藤隆文氏葬送の演奏DVDをご希望の方は 080-5311-3040 津野までご連絡下さい。

南里文雄と伊藤隆
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ボサリオ一座
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何故か着席の薗田憲一とデキシ―キングス
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