山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

日露戦争・高橋是清ー経済戦争①

いくら日本がロシアに宣戦布告をしたくとも戦費の計算が付かなければ泣き寝入りするしか道は無い。ところが驚いたことに時の日本政府は空っぽの財布の底を眺めながら開戦へと踏み切った。
まあ無茶をしたもんで、これが勢いと片づけていいものか。
開戦直前に日本銀行が持っていた正貨(金貨)は1億2千万円弱で、戦争の為にはその7,8倍の戦費が必要になると予想されていた。そこで政府は外債を発行しようとする。しかし、大国ロシアが相手である戦争とあって、とても外債が売れる状況でない事は誰の目にも明らかだった。
この外債のセールを任されたのが日銀副総裁だった高橋是清(1854−1936)。
遂には2.26で凶弾に倒れることになる「ダルマ」さんが出発したのは日露戦争が始まって半月がたった頃。壮行会では井上馨がスピーチに立ち「もし外債募集がうまくいかず、戦費が整となわなければ、日本はどうなるか。高橋がそれを仕遂げてくれねば、日本はつぶれる。」と発破ならず、本心を語った。
大変な責任を背負いこんだ高橋は、まずニューヨークに向かった。しかしかの地では不調に終わり、その足でロンドンに渡り、ロンドンの金融街シテイで、本格的な交渉を始めた。