山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

いよいよ明石市長選挙日迫る

今日(22日)は日曜日の明石市長及び明石市会議員の期日前投票に出かけた。ハート子ちゃんが福岡の方にアシュラン研修に出かけて不在となるため。
今日の神戸新聞に市会議員候補のアンケートがでており、意中の候補の回答欄をチェック。あれ、中心地活性に大賛成と云っていたのがどちらかと云うと丸となっている。これは考え直さねば。
ところで、この一週間我が家の電話は鳴りっぱなし。専ら明石高校同窓会のボランテイァーによる宮野候補への応援電話だった。
この様子だと宮野の当確間違いないなとの感触を得ていたが、ある人はいや泉候補の方が選挙もうまいし、当初五分五分がどうも泉優勢だと断言する。
これまでの明石市長選挙でこれ程明石高校同窓が、それも老いも若きもが団結して応援したのは稀な事。この辺りで明石高校の底力を見せる機会とも感じていた。
ところで、我が社としては何としても明石駅南中心街活性の現行プラン完遂の為に市長には宮野候補をお願いした。これ切実。
どうも泉候補では方向が違ってくるような予感がするからだ。

国会議員レベルの選挙では神戸商大先輩の塩田晋先生の選挙を4度お手伝いした。一番力を入れた際には川崎重工労組のジャズバンドとともにトラックの荷台にのりYou are my sunshine を演奏しながらパレードした。演説会では先生の一代記を講演して会場に先生到着までの時間を繋いだ。
ただ残念なことには、兵庫3区で先生が当選されることはなかった。それ以来私が応援する候補に迷惑を懸けてはいけないと直接選挙応援をすることは無くなった。しかし、今回は是非このジンクスを破り、宮野候補の当選を願うため初めての期日投票に臨んだ。
24日日曜日の午後10時頃には大勢が決していることでしょう。周りにもハラハラドキドキ固唾を呑んいる方々多数。

追記・・23日神戸新聞に歴代の市長選概略が特集されていた。昭和22年に初代市長選挙があり、以来54年間で8代の市長が誕生している。
私が覚えているのは丸尾義兵衛市長からで3期を務めている。このマンネリを打ち破ったのが吉川正雄市長。職員に軍隊式トレーニングを強要したり、なにかと話題作りに励んだ市長で、八方破れのおじさんだったが、今の市庁舎移転を決行したのも、このキャラで初めて出来たと記憶している。確かスキャンダルで途中降板となったはずだ。その後の衣笠市長は明石高校の校長を退くと同時に市長に立候補。通称ライオンの如く、なかなか近寄りがたい威厳があった。一時、同じライオンズクラブに在籍してその日常をうかがっている。ただその威厳を保つことのみに終わればよかったものを、同僚だった明石高校元教諭と図ってあの悪名高い高校入試総合選抜制を導入するという愚を犯してくれた。これにより、明石高校が蒙ったレベル低下は一時期目を覆いたくなるほどの凄まじいものでした。
この後の助役出身の小川・岡田市長は典型的な神輿。むしろ1988年共に立候補した三上重雄さんは永年市役所勤めで出世とは無縁の存在で、よく我がさんよう喫茶においで頂いた、温厚なおじさんだった。それが此の時敢然と市長選挙に出馬、永年の鬱憤を晴らすような快挙だった。勿論通る訳もない。
其れと1959年立候補の谷至康のおじさんは明石土建グループの総帥で有馬カントリークラブのオーナーと明石を代表する財界実力者で影の明石市長と目されていた人物だが、いかんせん毀誉褒貶が有り過ぎて自滅。その後も一族の宿願となっていたが、破れるたびに明石市公共事業で冷や飯を食わされてやっと諦めたと専らの噂。
この系譜に24日どちらが記されるか、久しぶりに面白いと言えば面白い市長選挙となりにけり。