山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

G27回 新谷正志主将回顧


部27回 新谷 正志

入学式が終わり、商大下で下宿をして2週間くらいが経ち、ちょっと落ち着いてからサッカー部の練習を見学に行ったときには、もう同期の三上と駒井は練習をしていました。2ヶ月くらいあとで商大サッカー部初めての、女性マネージャーの角石、玉木が入ってきました。
1回生の春のリーグから、3人とも試合に出させていただきましたが、私にとっては、体力的にかなり厳しい試合が続きました。特に一番印象に残っているのは、神戸大での雨の立命大戦で、前半に中田先輩の猛タックルで相手のエースが退場し、私は後半に入り走ることさえも大変だったとき、キャプテンの八隅先輩のワンステップからの強烈なシュートで、1対0で勝った試合です。春のリーグも終わり、夏合宿の前にあった、スタミナ月間では、舞子までの4km走で、商大に続く最後の上り坂でいつも燃料切れを起こしていました。2回生になり、キャプテンが鈴木先輩の時が、体も慣れ、チームとしてもうまく機能していたように思います。DFに立花先輩と駒井が、MFに山本先輩が居られたので、安心してFWの鈴木先輩と三上のフォローと、攻撃に集中できました。春のリーグで3位になり、2位ともほとんど差のない勝ち点だったので、秋のリーグには、本当に1部との入れ替え戦も夢ではないと思っていました。キャプテンが立花先輩の3回生の時は、攻撃よりDFがしっかり守り切る試合で勝ちを拾えた試合があったように記憶しています。4回生になり、部員は18名と人数は足りていましたが、DFの立花先輩が抜けた穴と、FWの育成が必要となりました。春のリーグでは、いろいろ試しはしましたが、穴が埋まりませんでした。秋のリーグは、初めの3試合を1分2敗で、修正も出来ないまま、2勝1分4敗の7位で終えました。入れ替え戦でも、大市大に2試合とも負け、3部に陥落しました。諸先輩の守り続けられた2部の地位を守れず、大変申し訳なく思っております。
最後に、今は亡き矢頭先輩がミズノ(株)でサッカースパイクを開発するために、試作の第一号のスパイクから第三号まで、テストで一年半にわたり履かせていただきました。今、ミズノのサッカースパイクを見るたびに、矢頭先輩の実直な情熱あふれる人柄を思い出し心が温たたまる思いです。
今から思い起こせば、本当に楽しい時間を過ごさせていただいた4年間でした。本当にありがとうございました。

1976年(昭和51年)リ−グ
 本学 2勝4敗1分 2部7位 (詳細デ−タなし)

 入替戦   本学 0−1 大市大
          2−5 大市大  
  3部降格