山陽立地・つれづれDEEP

10年にわたって書き散らかした事々を、この際一か所にまとめた

45年来の怨念か

一年下、17回亀井貫一郎君は現役の頃はプレーイングマネージャーで、我が同期の名マネージャー・則君と同じ西舞子・石川家の下宿人だった。
卒業後郷里の名古屋・富士パンに勤務、たしか支配人との名刺をもらったことが有る。いまも系列の保険会社にお勤めとか。
その亀井君が去年の80周年総会に参加以来、中部地方のOB会の幹事も務め始めるなど積極的に淡水サッカーに協力を頂くようになった。
今回も私の横に席を取り、なにやらもじもじ。というのも、現役のころから分かっていたことだが、どうも私に並々ならぬ怨念と遺恨を持ち続けているらしい。
私に身に覚えが有るかと聞かれれば、勿論個人的な経緯は皆無で、専らサッカー部でのこととなる。
となれば練習時の個人的な行きがかりが有ったのかどうなのか。私が4回生になって主将を仰せつかってから、人変わりしたように激しいトレーニングにのめりこんだのは事実だが、そのあおりを食ってしんどい思いをしたのは部員全員。
貫一郎一人を攻めた覚えはない。有るとすればリーグ戦後半、レギュラー負傷のため、サイドハーフに起用しての試合中、私の叱咤激励・罵詈雑言の洗礼を受けたかもしれないな。
今も、ビールを煽りながら、小声で[津野さんの葬式には必ず行きますから、呼んでくださいよ。」を繰り返す。
叶わんな、俺が死んだら君を呼べないよと答えながらも、なにやら淀んでいる怨念の深さに驚かされた。
こうなりゃ意地でも貫一郎より先には死ねないな。